六本木グラスホッパー


次の日の朝、ボクは音をたてないように着替えを済ませ、出かける準備をした。
家を出るとき、寝相が悪いせいで肌蹴てしまった毛布をカズナにかけてやった。


ボクらが住んでいるアパートは煙町の南、繁華街の近くにあった。築十五年の少し古めの木造のアパートで、部屋は三階、六畳一間。二人で並ぶと少々窮屈なキッチンと、日当たりの良くないベランダ。その代わりに比較的キレイなユニットバスが付いており、暮らすには不自由はしていない。


料理(ほとんどカズナの買ってきたインスタント食品を温めるだけだけど)と洗濯、掃除は当番制で、ボクとカズナで日替わりでこなしている(稀にカズナが二日酔いの日は当番じゃなくてもボクがやる事になるのだが)。



ボクはアパートの裏の小さな駐輪場から自転車をひっぱりだすと、坂道を下り、繁華街に出た。


朝の繁華街は静かだ。ほとんどの店舗が夕方から深夜にかけて営業しているものだから、人も疎らで、昨日の晩に酔いつぶれたサラリーマンや浮浪者が所々に落ちている。いつもの光景だ。


シンナーやドラッグのかすかな匂いがあちこちに立ち込めている。
繁華街を通るときに、鼻で呼吸をしないようにする癖がいつのまにかついていた。



繁華街を抜けて、また坂道。錆びかけた電車が通る度に軋む陸橋の下を一気に潜り抜け、三番街、通称『ヤル気横丁』に入る。



この商店街はその名前とは正反対に寂れた道で、一日通してあまり人通りはない。百メートルほどの通りに屋台や商店が立ち並んでいるが、店を開けているのは半数以下だ。昔はヤル気と元気と活気に満ち溢れていたのかも知れないけれど、ボクはその時代を知らない。



ヤル気横丁の真ん中らへんに、ボクの目的地はあった。自転車をこぐ速度をゆっくりと落としていく。



魚屋の奥から自転車を引っ張りだしている少年の姿を見つけて、ボクは叫んだ。


「アラタ!」


「おう、エージ。今日も時間ピッタリだな!」


少年はボクを見つけると、片手で自転車のハンドルを押さえ、片手で大きく手を振った。少々歯並びの悪い白い歯を見せて、彼はニッと笑った。








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