誘導
一章
高校のチャイムの甲高い音が、学校中に響き渡った。後は、ホームルームを受けるだけで家に帰れる。海田弘樹は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
数学の教師が形だけの号令を掛けるが、周りの生徒はもう既に、先程までは机の上に置いていた教科書を仕舞い込んでいる。教師は何食わぬ顔一つもせず、時間通りに機能する機械の流れ作業のように、そそくさと教場を退室していった。

「弘樹、何だか疲れてるみたいね。」

クラス中の生徒の会話が飛び交う中をすり抜け、新宮佐保の声が聞こえてくる。彼女は自分に好意を持っている。それは弘樹も同じで、いわゆる相思相愛の関係だ。

「そうなんだよ、授業は長いし。」

佐保の手が弘樹の机に触れた。彼女の指は色白くて細く、爪は程よく整っていて綺麗だった。

「ねぇ、それってまたネットのし過ぎじゃないの。」

佐保は眉を顰めて言った。不機嫌そうな顔を作っていたが、声は甘えているようだった。まるで、幼い妹が兄に注意を促すような感じで、弘樹はそれが可笑しかった。

「あら、ばれた。」

弘樹は大げさな仕草をし、後頭部をかいて見せた。それを見た佐保は吹き出しそうになったが、再び険しい顔に立ち戻した。

「佐保は勘が鋭いなぁ。」

弘樹は、ちらりと佐保の顔を覗くと、佐保の顔つきは先程よりも険しくなっていた。

「昨日だって、リンクのメッセージを既読付けたまま無視したじゃない。」

「ちょっと手が離せなくてね。」

「でも弘樹、私がメッセージ送った後にひまー、とか呟いたりしてたじゃない。」

「あ。」

「それで、誰からもコメントが来てなかった。」

呆気に取られたように、弘樹は口を開かせた。佐保の顔つきは、見る見るうちに悪くなっていくようだった。咄嗟の言い訳も出来ず、弘樹は時が止まったかのようにぼうっとしていた。なんでそんな事をしてしまったのだろうか。そんな後悔の念に駆られながら、弘樹は佐保に対する言い訳を考えていた。

「佐保が寝てるかと思って、返信するのを朝にしたんだよ。起きてすぐ、返信したろ。」

「確かに来たけどー。」

佐保は納得がいかないといった様子で、口を尖らせた。彼女の白い歯が弘樹を隠れて見つめていた。佐保は明るい人柄だが、異性にはそれ程親しくはしないタイプだった。弘樹には、クラスで彼女と仲が良い男は自分だけだ、という自負があった。彼女と仲良くなれた理由は、高校一年の時の席順が隣だった事がきっかけだった。

「まさか佐保、ネットに嫉妬してるの?」

弘樹は上目遣いで、佐保に向かって笑って見せた。だが、佐保は満更でも無い様子だ。

「弘樹がネットに本気で惚れてるならね。」

「ははっ、なんだよそれ。」

冗談混じりの問いかけに、思いもよらない返答が来て弘樹は少し驚いた。佐保は弘樹の顔を見つめ、不安気な顔をしている。

「だってさ、たまに思うんだもん。ネットの方が弘樹の事を知ってるし、サイトを開けばどんな情報だって知ってるから、物知りだし。」

「そうかなぁ…。」

「そうだよ。」

「でも、そんな風には考えた事は無いよ。」

ネットに対し嫉妬心を抱く彼女の気持ちが、弘樹には理解が出来なかった。彼女は鼻筋も通っていて、顔立ちは整っている。目も奥二重だが大きく、今にも吸い込まれそうな、魅惑のある瞳をしている。多少内気で感傷的ではあるが、お世辞抜きで美人な方だ。下地のみの薄化粧も、彼女のあどけなさの残る顔に上手くマッチしている。そんな彼女が、人でもないネットに嫉妬をするのは、たまらなくシュールだった。

「そんなに俺って、ネットばっかしてるかなぁ…。」

弘樹は黙り込んだ佐保に聞こえるように、独り言っぽく呟いた。

「してるよ。授業中もケータイいじってばっかり。」

「え、あの席から見えるのかよ。」

「うん、ばればれだよ。」

「そっかぁ~。先生にバレて無いと良いけど。」

「バレたら一ヶ月間没収だもんね。」

「あぁ、そんな事親に言えないよ。」
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