未明
シーン6 渡(ワタリ)
   要子は社会人1年生と書かれたノートで手を止める。
   ノートを開き、ページに目を落とすと要子の背後に渡が現れる。

渡  「なんだ、まだ起きてたんだ。」

   渡の台詞をきっかけに、記子は23歳の姿になる。

要子 『2013年8月4日。今日で有休が終わる。
    このプチ同棲生活も、もう終わる。
    明日からまた事務所に缶詰と思うと軽く鬱だ。
    夏休みとか、学生がうらやましい。』

記子 「おかえりなさい。」
渡  「ただいま。あー腹減ったー。」
記子 「今日は食べてこなかったの?」
渡  「夜勤はまかないつかないんだ。」
記子 「夜勤とか。学生は元気だねー。」
渡  「何かある?」
記子 「筑前煮が残ってるのと、チャーハンくらいならすぐ出来るよ。」
渡  「じゃあ、それで。」
記子 「うん。ちょっと待ってて。」
渡  「こんな時間まで悪いね。」
記子 「いいよ。私、今日の午前の便で帰るから、
    起きてないと渡君起きないでしょ。」
渡  「…そっか、今日だっけ。」
記子 「うん。筑前煮、レンジでいいよね。ラップ、ラップ…。」
渡  「シンクの下。」
記子 「お、あったー。」
渡  「やるよ。チャーハンお願い。」
記子 「わかった。じゃあ翔(カケル)君を温めないとねー。」
渡  「…ねぇ、前から気になってたんだけどさ、なんで翔君なの?」
記子 「フライパン?『飛翔(ヒショウ)』の『翔(ショウ)』で
    翔(カケル)君。」
渡  「フライだけに?」
記子 「そう。あとは、黒い防水ケータイの『スイミー』に、
    保温タンブラーの『保(タモツ)君』に、
    日記の『記子(ノリコ)さん』。」
渡  「物に名前ねー。」
記子 「私、物の扱いが雑でしょ。名前付けたら、
    少しは愛着がわくかなぁって思って。」
渡  「愛着ねー。じゃあ、俺はいつ名前で呼んでくれるの?」
記子 「え?」
渡  「だって、いつまでたっても苗字に君付けじゃん。」
記子 「呼びなれちゃったんだもん。今さら変えられないよ。」
渡  「ねぇ。」
記子 「うん?」
渡  「帰るのやめてさ、こっちで一緒に暮らそう。」

   わずかな沈黙。電子レンジのアラームが鳴る。

記子 「できたよ、筑前煮。」
渡  「…。」
記子 「そういう台詞はね、自分で自分の面倒が見れるようになった人が
    言うものだよ。」
渡  「要子。」
記子 「ごめんね、渡君。」

要子 『わかるかな。本当は私も帰りたくないんだよ。
    でも、私は渡君よりお姉さんで社会人だから、
    私が間違っちゃいけないんだよ。
    あー、素直になりたい。』

   要子は、読んでいたノートを破り、一斗缶の中にくべて燃やす。
   記子はもとの姿に戻る。
   渡は、吹っ切れたように背後の暗闇に消えてゆく。
   要子はまたノートを燃やし始める。
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