蒼い雨に濡れながら
健一は白木峰高原の駐車場に入った。菜の花やコスモスの時期には駐車待ちも出るほどの人気スポットだが、今日の駐車場は、人っ子一人居ない。だだっ広い空間が、まるで侵入者を拒否するかのようにシーンと静まり返っている。正面に数件並んでいる地産野菜の直売場も閉まっている。健一は駐車場のど真ん中にバイクを止めた。そして、美樹が降りる時に手を貸した。美樹がはにかむように健一の手を握った。美樹の白い歯が輝いた。二人はバイクを降りると、緩やかな坂道を上がって、枯れた芝生に置かれているベンチに向かった。ベンチの前で美樹が両手を広げて、背伸びをした。
「気持いいけど、ちょっと恐いね。私、バイク苦手かも」美樹がそう言って笑う。ベンチに座る前に健一は美樹の為に青いハンカチを広げた。眼下には諫早湾が広がり、その向こうには雲に霞(かす)んだ雲仙(うんぜん)の山々が広がっている。
美樹はハンカチの右半分に座った。そして、「半分っこしよう」そう言った。
「美樹のお尻が大きいから無理だよ」健一がからかうと、美樹が健一をぶつ真似をして頬を膨らませた。ベンチに座った二人は、黙って正面を見つめている。心地良い風がそよいでいる。健一は黙って前を向いている。美樹は湾を仕切って走る7㎞にも及ぶ堤防道路を見ていた。何故此処にこんなものがあるのだろう。そう思う。美樹にはその潮受け堤防が、雄大な自然を切り裂いている人間の驕りにしか見えなかった。
「何を見ているの?」美樹がそう言って、健一の横顔を覗き込んだ。
だが、美樹の問い掛けに健一は返事をしない。黙って正面を見つめたままだ。
美樹にはその横顔がまるで凍り付いた氷像のように思えた。何時の間にか健一の横顔から感情が消えているのだ。美樹には自分の横に居る健一が、まるで遠い世界にでも居るかのように感じられた。
「何を見ているの?」美樹はもう一度、健一に尋ねた。
「うん」健一は曖昧に返事をした。
「うん、って何よ」美樹が言った。
「空。空を見ている」健一が言った。
「空?」
「そう。遠い空を見ている。その遠い空には雨が降っている。冷たい雨だ。蒼く冷たい雨だよ」
健一はそう言ったきり口をつぐんでしまった。健一の細い神経質そうな横顔は正面を向いたまま凍りついていた。時折風に煽られた長髪がその横顔を隠した。それはまるで風が健一の心を思いやって、美樹の目線を遮っているかのように見えた。
穏やかな空と眠っているような諫早湾。静寂の中を爽やかな風が流れている。二人を中心にした森羅万象が午睡に身を委ねているような穏やかさの中で、健一の心はそうではなかった。健一の心には、忘れかけた哀しさが静かに波立っていた。寂しかった。恋人とベンチに腰を下ろしている。二人を穏やかな陽光が包んでいる。流れる雲も穏やかな空に抱かれながら眠っているようである。全てのものが余りに穏やかで優しいのだ。だが、その中にいる健一は独りだった。健一を取り巻くものが穏やかであればあるほど、健一はその中に居場所を失くしていくのだ。健一は母から逸(はぐ)れた迷い子の様に、おどおどと母を捜していた。目の前を綿菓子のように柔らかな雲がゆっくりと流れている。その雲は青い絵の具に淡い白を絡めたような空を、まるで浮かんでいるかのようにゆっくりと流れて行った。
健一の脳裏にこの三年間という年月が蘇っていた。ゆっくりとした時間だったような気もする。あっという間に過ぎた時間だったような気もする。ただ言えることは、それは上ることの出来ない、時間の螺旋階段に似ているということだ。全速力で走ったこともある。ゆっくりと歩いたこともある。その速度がどうであれ、俺は絶え間なく螺旋階段を上り続けているつもりでいた。だが、こうして思えばその一歩一歩の歩みは余りに虚しい。階段を上っているつもりでいただけで、実は、俺は、一つの踊り場の周りを、ただぐるぐると歩き回っていたに過ぎないのだ。淀みの中で足掻いていたに過ぎないのだ。そして、三年という時間が、その淀みに虚しく飲み込まれて行ったに過ぎないのだ。だが、遊んでいたわけじゃない。決して遊んでいたわけじゃない。「俺は頑張っていたんだよ。誰が何と言おうと、それなりに頑張っていたんだよ」健一はそう呻くように独りごちた。だが、結果として健一が合格という二文字を手にすることはなかった。何故?その思いが時に竿差すような時間だったのかもしれない。ただその間も白い雲は変わることなく悠久の時を流れていた。今日の雲と同じように、ゆっくりとゆっくりと流れているのである。
浪人という停滞した時間。本来それは、失敗にめげることなく志望校合格を目指して頑張っている情熱の発露であり、途切れることのない強固な意志の証でなければならない。それは停滞ではなく、長い人生の中でのほんの一瞬の寄り道に過ぎない。そうでなければならないのだ。浪人なんてしないでいいなら、それに越したことはないのだろうが、仮にそうなったからと言って、それが人生を左右するほどの大事であってはならないのだ。健一の場合もそうである。ただそれが一年また一年と繰り返されたらどうだろう。年数を重ねるうちに、情熱が何時しか惰性に変質していったような気がしてならない。努力が結果として報われない年数が積み重なるうちに、諦念が顔を出し始め、自分自身への疑問と嫌悪感が頭をもたげ始める。ただそんなヘドロのような感情の泥沼の中でも、健一が初志を捨てなかったのは事実である。それが彼の人生にとってどの様な価値を持つのかは分からない。何の価値もない意志であり、無駄な生き様なのかもしれない。逆にその融通の利かない生き様が、将来功を奏するのかもしれない。浪人を賛美する気など毛頭ない。しかしだからと言って、それを真っ向から否定することは出来ないのだ。そんな心の逡巡(しゅんじゅん)を引きずりながら健一は生きていくしかないのだろう。それは健一が自分で選んだ道なのだから
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