男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「わっ!“雅姉さん”、すげぇ。全然揺れない!課長みたいな運転じゃないっすか!うまっ!」

「まだ発進しただけよ?やだわ。観月くんったら大袈裟(おおげさ)。でも、ありがとう!…とは言っても、本条課長と私の運転を一緒にしたらダメよ。課長に失礼だわ。“あの人”は、本当に慣れてて上手いから…。」

私の真後ろに座る観月くんにそんな風に褒められ、照れる気持ちもありつつ…「本条課長並みに上手い」なんて言われて恐縮した。

「ご謙遜を。まぁ…能力が高いのに日頃から謙虚なのが、姫野さんの魅力の一つではありますが。…私が作業しやすいようにもしてくれていますよね。」

工藤さんのそんな言葉は、タイピング音とともに聞こえてくる。
バックミラーに視線を向けると、それ越しに微笑んでいる工藤さんと目が合った。

「…せっかく褒めていただいたところなのですが、実は工藤さんに謝らなければならないことがあるんです。」

「何でしょう?」

「私が"ドライバーを申し出た理由"を、あの場では誤魔化してしまったので…。〈PTSD〉の影響で後部座席に乗れないんです、私…。一時は運転はおろか助手席にすら乗れなくなって、本当に困りましたし…趣味が一つ無くなりかけてショックでした。」

「えぇ。趣味が一つ無くなる…これはつらいですよね。私も運転好きなので分かります。」

「…ですが、リハビリした甲斐があって助手席に乗ることとハンドルを握れるところまでなんとか回復した状態なんです。【〈PTSD〉発症のきっかけとなった事件】はまた別に起こった事件なんですけれど、その後も複数回事件には巻き込まれて……ホテルに連れて行かれそうなったことがありまして――。」

「…っ!それはまた…何という――。」

「“雅姉さん”、無理して喋らないで下さい。声震えてるじゃないですか…。俺、“姉さん”が無理してるのを見るのは嫌なんですよ!」

工藤さんも観月くんも、まるで自身も私と同じ経験をしたかのように苦しそうにそう言ってくれた。

「ありがとう、観月くん。でも、運転でもしてる時じゃないと話せないから…つらくて。……その時ですね。複数の男性の手によって車の後部座席に押し込められそうになって、後ろに乗れなくなったのは――。私が思いっきり暴れたから、なかなかドアが閉められなかったことが幸いして、通りがかった会社員の方に助けてもらえたので…未遂で終わったんですけどね。」

「未遂って――。そうは言っても…怖かったはず。辛いことを思い出させてしまって、申し訳ありませんでした。もういいですよ、無理に話さなくても。事情は分かりましたから。」

「いえ。【〈PTSD〉発症のきっかけとなった事件】に比べたら、助けてもらえましたし…こっちの事件なんて――。」

決して軽くなんてなかったけど、他の表現も見つけられず言葉を濁した。

その様子に2人も察したのか、それ以上詮索してくることはなく運転に集中させてくれた。

この時、手の甲に少しだけ蕁麻疹(じんましん)が出ていた――。

**

「はい、着きました。ここまでお疲れ様でした。……工藤さん、ここが本日の訪問先である[infini](アンフィニ)になります。」

「安全運転、ありがとうございました。姫野さん。…へぇ。もう見た目からして、店内も雰囲気良さそうですね。」

そんな風に言いつつ、工藤さんは私の手の甲を見てそっと息を呑んでいたけれど、口には出さないでいてくれた。

「“雅姉さん”。運転ありがとうございました。そうなんですよ、工藤さん。店ん中もすげぇオシャレだし、マスターも良い人ですよ!」

「観月、言葉遣い。マスターさん、今からはクライアントだぞ?しっかり切り替えろ。」

そうね、観月くん。

「観月くん、工藤さん。先に入店してて下さい。駐車したらすぐ戻ってきますから。」

そう言って2人にお店の前で降りてもらった後、私はお店の駐車場を探し、そこに車を止める。

「あっ!そうだ、中瀬さんに――。」

私は彼に伝えなければいけないこと思い出し、名刺の後ろにペンを走らせる。


――明日、21:00を目安に
    またお店に来ます!
      工藤さんと一緒に。――


書き終えた後は、手の甲にさっと蕁麻疹(じんましん)の薬を塗って足早に3人が待つ店内へ向かった。


**


「こんにちは、〔Platina(プラチナ) Computer(コンピューター)〕から参りました。〔開発営業部 営業1課〕の姫野でございます。“中瀬様”、工藤さん、“観月さん”…大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。」

「姫野さん、こんにちは。いえいえ、大丈夫ですよ。それより、駐車場お分かりになりましたか?…分かりにくかったでしょう?すぐ近くに借りられれば良かったんですが、うちの方が新参者なのでなかなか上手くいかなくて。」

「いえ、とんでもないです。ちゃんと案内も出てますし、以前お世話になった際に私の上司が駐車したのも覚えていましたから、聞いてきました。……工藤さん。名刺交換、終わっていますか?」

私がそう聞くと工藤さんは「終わっていますよ。」と爽やかに答えてくれ、中瀬さんはニコッと笑って会話をさらに弾ませてくれた。

「あぁ、そうだ。本条さん、先日車でしたね。」

「やはり“中瀬様”は、うちの課長をご存知だったんですね。」

「はい、工藤さん。…実は、私が本条さんのお姉さんと同じ医学部でしてね。」

「あぁ、そういうことでしたか。…えっ、課長にお姉様?お兄様は〔新宿南総合病院〕の副院長で、訪問の度に案内して下さるので…存じ上げておりましたが――。まさか、お姉様もいらっしゃったとは!」
< 122 / 125 >

この作品をシェア

pagetop