男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「分かった。…10秒、2回目…。姫野さん。大丈夫、ちゃんとできてますよ。このまま深呼吸繰り返して息整えましょうか。」

何回か呼吸をしている間、本条課長がずっと声を掛けてくれていた。


**


「落ち着きましたか?姫野さん。」

呼吸の乱れが無くなり、発作も止まったのを見計らって、そう声を掛けてくれる本条課長。

「はい。ありがとうございます、本条課長。それから、体も…発作が治まるまでずっと支えてて下さって…。」

「いえ、それはお気になさらず。それより蕁麻疹(じんましん)が出ていたり、ご気分が悪いとかはないですか?…とっさにとは言え、体に触れてしまったので。」

彼は、私から離れるタイミングを計っているようだった。

さっきは堂々とあれこれ言う常務を制してくれた本条課長が、今は戸惑ってる…。
ふふっ。本当にどこまでも優しく、情が深い人なのね。

「もう、支えが無くても大丈夫そうです。ありがとうございました。本条課長は大丈夫な方です。少しは出ていそうですけど、これぐらいの(かゆ)みなら10分もあれば(おさま)ります。」

私はそこで言葉をいったん切って、一呼吸置いて静かに続きの言葉を紡ぐ。

「本条課長は私が安心するようにずっと立ち回って下さっていた。会議前の相談の時も、今も…。それらの行動全てが"安心"に繋がり、"この人には触れられても大丈夫だ"と頭が認識したようです。私自身もビックリしてます。だって、父や“本条ドクター”より短時間で、ある程度心開けていますから。おそらく最速記録です。」

私は少しでも彼の戸惑いが晴れるように、(おど)けた感じで言ってみせた。

「えっ、そうなんですか?…私としては、ただただ姫野さんの話を聞いていただけですが。光栄だな、そんな風に感じていただけたなら。…あぁ、そうだ。……10秒間の発作が3回あって30秒間隔でした、次の発作までが。……さて、話し合いに戻りましょうか。」

「発作の時間等、計っていただいてありがとうございます。助かります。……あれ?そういえば。柚…鈴原さんと花森先輩はどちらへ?」

「彼女たちなら、今ここに居る全員分の飲み物を買に行ってくれているよ。」

私の呟きは、にこやかな笑みを浮かべる社長によって拾われる。そして噂をすれば2人が戻ってきて、柚ちゃんは私に、会社でよく飲んでいるレモンティーをくれた。

「カフェオレか、レモンティーか迷ったけど…こっちにしたよ。サッパリする方が良いかなと思って。」

「ありがとう、さすが柚ちゃん。」

そんな会話の後、柚ちゃんは全員に飲み物を配りに行き、終わったのを見計らって社長が話し合いを再開させる。

「そうか。初めて見たが、過呼吸の発作というのは…ああいう風に…喘息みたいになるんだな。苦しそうだった。」

「ご心配いただきありがとうございます、社長。でも今のは比較的時間が短い…軽度なものです。そして"過呼吸を起こしやすい状況"というのがあります。私の場合は――。」

私は会議前に本条課長に説明したことを再び重役たちに話す。

「それから、先ほど…社長から『異動の理由を聞かせてもらえるかな。』というお話がありましたが、その質問にお答えする前に…常務、あなたにとって私は"必要な存在"ですか?…“女”としてではなく、“ビジネスパートナー”として…。」

「――っ!」

常務がハッと息を呑んだ。

「ここ1年半ぐらいは…頭の片隅で、それを自問自答しながら仕事をしていました。秘書として仕事をし始め頃は…労いの言葉も、感謝の言葉も、お褒めの言葉もいただいていた気がします。あなたも、加々美先輩も、新人の私を厳しく…そして優しく指導して下さって、本当に"良い上司と良い先輩に出会えた…大変だけど、頑張っていこう!"と意気込んだものです。嬉しかったから。でも――。」

全員、黙って真剣に私の話を聞いてくれていた。

「業務に慣れてくると、あなたの"業務内容に関する口数"がどんどん少なくなっていった。"当たり前にやってくれるだろう"という雰囲気で業務の指示を出されるようになった。加えて、加々美先輩の出向が決まってからは…あなたの覇気は無くなり、それを誤魔化すように業務中でも繰り返し過剰なアプローチを…恋愛的なアプローチをしてくるようになった。」

「『常務が姫野さんを度々口説いている。』とは聞いているからこの事柄について把握はしているが…今の姫野さんからの情報を聞く限り、実際はもっと口説かれてたってことかい?」

"私がしばらく話し続けるのかな"と思っていたら、質問や確認のために社長や専務がサラッと入ってきた。

「はい、社長。そういうことになりますね…。」

「ハァ、それで口説いても振り向いてもらえないからって、『男性が苦手だ。』と訴え続けてる姫野さんを無理やり食事に誘った。挙句の果てに、キスまで迫るなんて…どういう神経してるんだ。」

そんな専務の言葉に、驚いた様子の社長は「何?…誠。それ、いつの話だ?」と再び聞き返し、それに答えるように「ホワイトデーの日ですよ。常務が帰った時の様子、変だったでしょう?おそらく。」と専務が言う。

それを聞かされた社長は、「剛!お前という奴は…。」と呆れつつ静かに怒っているような声を発していて、それに対して常務はおそらくシュンと肩を落としていると思う。しかし、私に周りを気にする余裕は無かった。

なぜなら「キスまで迫る。」というフレーズを耳にし、当日の光景がフラッシュバックしたからだ。それと同時に、頭にツキツキと鈍い痛みが走り…体も震え出してしまっているのを自覚した。

そんな異変に瞬間的に気づいてくれた柚ちゃんと本条課長の"次の行動"は、とても速かった。

「姫ちゃん。大丈夫、大丈夫。怖かったの…思い出しちゃったね。大丈夫、大丈夫。落ち着いて。」

柚ちゃんがしっかりと肩を抱いていてくれる。そんな私たちを見て専務が慌てて「そうだった…。思い出させてしまうようなことを言ってはいけなかった、申し訳ない…。」と謝っているのが聞こえる。

そんなに気にしないで下さい、専務。

「……なるほど。だいたい話が見えました。これはやはり。姫野さんをあなたの元から離すことは【マスト】のようですね、常務。……姫野さん。フラッシュバックした時の対処法、思い出せますか?ゆっくりで良いですから対処しましょう。…ここからは私が引き継ぎます。それから。あなたからお預かりした"書類"を出そうと思いますが、良いですか?……読み上げる形にするので私しか見ませんし、内容も抜粋しますからご安心を。」

私は肯定の意味で、柚ちゃんの手を一度ギュッと握った。すると、彼女がすかさず「OKだそうですよ。」と私の意思を本条課長に伝えてくれて…彼も「ありがとう。」と返してくれた。


そして本条課長は、こう切り出す――。

「話が本筋からズレています。今は常務の行いを(とが)めている時ではありません。今やるべきは、この異動についての話し合いを終わらせ…姫野さんを一刻も早くこんな息苦しい空間から解放し、彼女に安心してもらうことです。」

そう言った彼は自身のPC用の鞄から、私が預けた"診断書"の入った封筒を取り出し…重役たちに見せる。
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