男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「姫野さん、津田。今日1日の流れの説明と、行ってほしい業務を伝えるから来なさい。」

「はい。」

「午後は、観月も桜葉も…部長と、秘書の鈴原さんとともに"企業クライアント"に新年度の挨拶回りに出向く予定だから不在になる。それで…だ。2人は俺と一緒に各部署へ挨拶回りに行く。姫野さんはともかく、津田は新人だ。みんなに顔をしっかり覚えてもらえ。…それから。2人の午前中の仕事は"これ"だ――。」

…うん!? 思ったより多い…。
私は、普段からもっと凄まじい量の書類を(さば)いてるから少なく思うけど…津田くんはビックリする量かもしれない。

「えっと、えっと。事務処理作業ってことで良いですか…?」

「あぁ、そうだ。…津田、落ち着け。確かに、研修中の倍の量は渡したからな。驚くだろうが、やることは研修中と何も変わらない。研修中、観月先輩と桜葉先輩にいろいろ教えてもらっただろう?思い出せ。とりあえず、そうだな…。今俺が言うのはここまでにしておこうか。」

課長は、津田くんに"何か"を気づかせようとしてる?

「本条課長。質問を3つ、良いですか?」

「…あぁ。何だ?質問はいくらでも受け付けるよ。」

私は、具体的な質問を課長に投げていく。

「1つ目。私と津田さんに渡されたこれらの書類には、提出…もしくは納期期限があるものはありますか?……2つ目。この作業をするのに【文書作成ソフト】、【表計算ソフト】以外のソフトウェアは使いますか?………3つ目。各作業の細かいやり方は、こちらで決めても良いでしょうか?」

これで、津田くんに【質問の仕方】とか伝わるといいんだけど…。

「えぇぇぇ!?姫野さん、あの課長と初日から喋ってる!?」

「芹沢、福原、森川、三田…うるさい。大声での私語は慎め。…仕事しろ。そんなに俺が女性と話してるのが珍しいか?……柏木リーダー、注意しておいて下さいね。頼みます。」

なるほど…。これは萎縮(いしゅく)するかもね…。
怒鳴らないけど、確実に怒気は含まれてて…鋭い感じ。

これは、人によっては"怖い"って感じるわ。

「はい、すみません。課長。」

あそこの位置は、Eチームの机の島ね。

「津田、すまないな…横やりが入って。」

「あっ、いえ。僕の方こそ、すみません。量にビックリして、確認しなきゃいけないこと…頭から飛んじゃいました。課長は、聞けばちゃんと教えて下さるのに。……姫野さん、ありがとうございます。今は僕の代わりに聞いて下さって…。次からは聞けます。」

伝わったみたいね、よかった。

「そうか…聞くに聞けなかったか。悪かったな。だが、【対応の仕方】は分かっただろ?それが何となくでも理解できたなら、今は十分だ。質問はできるだけ具体的にするんだ。聞かれる方も分かりやすいからな。」

「はい。」

「俺は…‟仕事に意欲的な奴”にはとことん付き合う。逆に‟仕事に意欲的じゃない奴”には【所属部署の見直し】や【業務内容の見直し】を図る。【経験】に無駄はない。今、"聞けなかったな…。"って気づいたなら、今後活かしていけば良い。」

「はい。」

津田くんの、真っ直ぐな…真剣な返事はとても気持ちがいい。

津田くん、あなたはきっと大きくなるわね。

「姫野さん、さり気なくフォローをありがとう。【質問は具体的に聞く】…これを口で説明するより実践してくれた。津田はすぐ理解できただろう。」

「いえ。私は何も…。"津田さんが【自分の反省点をしっかりと分かっていて、素直にこちらの伝えていることに耳を傾けてくれる】"。これがあってこそです。」

私の言葉に、課長は口角だけを上げて笑った。

「フッ。そうだな。」

「課長…。姫野さん…。ありがとうございます!姫野さん、僕も“くん呼び”でお願いします。」

津田くんがちょっと感動したというような表情を浮かべていた。

「分かったわ、“津田くん”。」

「さて。それじゃ、さっきの質問に答えよう。2人に渡した書類は確かに提出書類だ。俺が2人の技量を見るためにわざわざ作ったものではない、丁寧に扱うように。期限はあるが、おそらく今日の午前で(さば)ける量だと思っている。そして【文書作成ソフト】、【表計算ソフト】だけあれば事足りる業務だ…安心していい。最後に、やり方は任せる。やりやすいようにやればいい。だが、これは仕事だ。雑にするな、責任を持ってやるように。」

「はい!」

私と津田くんは、ハッキリとした返事を返す。

「じゃあ…よろしく頼むな。」

そう言って彼が自分の仕事に取り掛かろうとしたけど、私は再度声を掛けた。

「あの…本条課長。」

「…ん?どうした、姫野さん?」

「課長にお願いするのも申し訳ないのですが、書類の量がないわけではないので…半分ほど運んでいただけたら…。」

「あっ、そうだな。気が回らなくて…すまない。」

「いえ、お忙しいのに申し訳ありません。」

「課長、呼んで下さいよ。こっちから行きますから。」

私と課長の会話が聞こえたのか、観月くんと桜葉くんが駆け寄ってきてくれた。


―姫野さん、観月たちに…あなたが【触れられたら困る】理由を
少し話しておいても良いか?―

課長が見せてきたメモには、そう書かれていた。

―サラッとだけ…お願いします。―

課長の達筆な字の下に、私の返答を書いて返した。

「観月、桜葉、津田…ちょっと待て。これの確認をしていけ。」

「はい?」

3人とも、一瞬"何のこと?"という表情を浮かべたけど…課長が数枚のメモに書き始めたのを見て"何かある"と察知し、その全貌が明らかになるのを待ってくれた。


―姫野さん、実は…長期治療が必要な疾患(病気)持ちだ。
何の疾患かは俺からは話せない。
姫野さん本人が、お前らに心を許せなければ話せない。
それほどデリケートな内容だ。
だから、お前らからは絶対に詮索するな。いいな?―

―彼女に業務について聞かれて教える時、横から教えろ。(絶対にだ!)
"後ろに立って画面を一緒に見て教える"のは厳禁だ!
(手や体に触れる…は、厳禁。【男は特にだ。】)
減給されると思え!(それほどの影響が出るって例えだ。)
彼女の体に…男が触れるようなことがあれば、至急仲裁に入れ!
何かあれば俺か、部長か、鈴原さんにTELを。(場合によっては119番が先!)
【プラチナ案件】につき、内密に。―


こう書き切った後、本条課長は「理解はできたか?3人とも。」と彼らに尋ねつつ、私に視線を投げてきた。

「はい。」

課長……。ありがとうございます。

―本当にオブラートに包んでいただきまして、ありがとうございます。本条課長。
観月くん、桜葉くん、津田くん、ごめんね。話せないことが多くて。
でも、1ヶ月以内には…3人と、朝日奈課長と堤課長ぐらいには話せたらと思う。
だから…もう少し待ってて…。―

課長のデスクのメモを拝借し、走り書きをして3人に見せると…彼らは"何か"を感じ取ってくれていて「無理に聞きませんよ。」と小声で言い、笑ってくれた。

そして、ここで桜葉くんは…津田くんに"プラチナ案件とは"という説明をしていた。

「それじゃ、業務を開始してくれ。」

「はい。」

こうして私は、"新しいデスク"に着き…業務を開始した。
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