男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「姫野さん、雨の日は…苦手か?」

「雨自体は、大丈夫なんです。ただ、雷が……。」

「苦手、なんだな…。あのとき暗いように見えたのはそのせいか…。」

頷いて肯定するのが精一杯という様子の姫野さん。
今までは一体どうやって乗り切っていたんだろうか。

「ごめんなさい、ごめんなさいっ…グスン、グスン。なかなか震え止まらなくて…。」

「姫野さん、こんな時ほど深呼吸して。大丈夫、焦って止めようしなくても。待ってるから落ち着こうか。…支えるためにとはいえ、結構密着してるが…それは問題ないか?」

「そのままで…。」

コクンという頷きと、この一言が返ってくる。

「分かった、このまま支えてるから安心していい。」

そう言ってやると安心したのか、彼女の方から身を預けてきた。

“気になる女”が身を預けてくる…。
私欲で行動してしまう男だったら…"キスしたい"、"襲いたい"と思うシチュエーションなのかもしれない。

……ちょっと待て。 俺は今…何を考えた?

「…嫌なことが起こる時、雷雨が多いんです。」

「聞いてもいいのか?……話せるか?理由を。」

落ち着いたトーンで問い掛けると、彼女は小さく頷いた。

「【異動の話し合い】をした際に、【事件に巻き込まれた】というお話はしたかと思います。……その日も雷雨でした。」

「あぁ、〈PTSD〉の原因になったトラウマを作った【事件】だな?……そうか。」

「はい。…【事件】後。2週間ほどは大学を休みました…グスン。でも、"徐々に【日常】を取り戻すフリ"をしていました。両親に迷惑をかけたくっ…グスン…なかったので…。両親の在住地であるパリのデザイン事務所がっ…当時は設立したばかりだったからっ。」

過呼吸が出ないかだけ心配だな。

「“世界の〔Queen Field(クイーン フィールド)〕”、“世界のYURIKA”さんだからな…。そういえば、あの当時『パリにも事務所を新設した。』ってニュースになってたか。……すまない、逸れたな。それで?」

Office Queen Field(オフィス クイーン フィールド)〕は、「その名を知らない者は居ない!」とまで言われている世界的に有名なファッション&インテリアブランドであり、そこの社長兼トップデザイナーの“YURIKA”さんは…姫野さんの母親の百合花(ゆりか)さんである。

「本当はもう少し休みたかったけど…無理してっ…行って。行ったら…それまでと変わらず『合コン来てよー!』って、そればっかりっ…誘われてました。『だって、雅(姫野さん)が来ると男子の集まり良くなるんだもん。』なんてっ…しょっちゅう言われてました。」

俺たちもそうだったが…大学生って、バカだよなー。
色恋は、だいたい【容姿】がものをいった。
俺も(けい)に強制連行される側だったから、よく分かるよ。

嗚咽(おえつ)止まってきたし、震えも落ち着いてきたように見えるが……まだだな。
むしろ、ここからだろう。 彼女が震えるぐらい嫌な話は。

「合コンに行ったその帰りってこともあったし、後日改めてのこともありましたが……。」

彼女の体が明らかに強張った。
すかさず俺は、彼女の肩をしっかりと抱き直し…手も握ってやる。

「ホテルに…連れて行からそうになったこととか…帰宅中に途中までではあったんですけど、一緒に合コンに参加した男性に後ろをついて来られたことがあって…うぅ…それが全部、雷も鳴ってる雨の日だったんです。……必死になって相手に抵抗してたら…グスン。どこかの会社員の方が助けて下さったんです。一度複数でホテルに連れて行かれそうになったんですが…グスン。車の後部座席に無理やり押し込まれたんです。」

「…っ!そんなことが。」

「ドアが閉まっていない車を、不審に思った人が助けに来てくれて車から出られましたが…グスン。それ以降、車の後部座席に怖くて乗れなくなりました…グスン。あとは、暗闇と男性がアプローチを掛けてくる時の… グスン。いわゆる“男の顔”が苦手になりました。」

気がつくと、柄にもなく俺まで泣いていた。

そんな苦痛を3回…いや、4回も味わうなんて…どれほど怖かったんだろう。
これは人間恐怖症にもなるし、〈PTSD〉にもなるだろう。

「そうか…つらかったな、苦しかったな…。何回もあったのか、怖かったな。……その後はちゃんと帰れたか?」

「2度は家族が全員で迎えに来てくれました…グスン。あとの1回は両親が海外に行き、妹も大阪に行った後だったので…柚ちゃんのご家族が来て下さって…グスン。そのまま泊めて頂いたりしました。…課長?泣いてくれるんですか?」

「…っ!すまない、姫野さんが不安になるだろうと思うから堪えてたんだがな…。だから、今は顔を上げるなよ。」

俺は涙を誤魔化すように…一定のリズムで姫野さんの背中を叩きながら、話を聞いていた。

「…課長、ありがとうございます。一緒に泣いて下さって…。」

その後も話を聞いていくと、常務秘書として仕事にあたっていた頃で会食など…【絶対に外せない仕事】の時は、奇跡的に雷雨ならなかったという。そしてデスクワークの場合は、今の状況と同じく〔第二役員室〕内の応接室で仕事していたという話だった。


そして、お互いの呼吸が整ってきた頃――。

「まだ話があったんじゃなかったか?」と俺が切り出した。相談があると言われていたからだ。

今はお互いに触れたりせずに、普通に並んで座っている。

「観月くんたちにも、〈PTSD〉の話をしなければ…と思っています。これから部の飲み会とかもありますし、営業の外回りも徐々にありますよね?」

「そうだな、2ヶ月以内には外勤デビューしてもらいたいとは思ってるし…特に〔営業〕は飲みたい連中が多いから【姫野さんと津田の歓迎会】と称して3週間以内にはやるだろうが…。無理はするな、焦る必要はないから。俺に打ち明けるだけでもつらそうだったんだ、もっとゆっくりで良いんじゃないか?」

本当に大丈夫か?

「お気遣いありがとうございます、課長。でも近日中じゃないとダメな気がしてるんです…。なぜかと言われれば"感覚"としか言えないのですが。それに。いつでも部長や課長が居るわけではないので、頼れる人は1人でも多い方がいいと考えます。」

「それに。"課長なら、何かあれば助けて下さるのでは?"と思ったので、"誰よりも先にお話しよう"と…。打ち明けました。先日の【話し合い】以来、課長を頼りにしているので…。…あっ、でも。そんな変な意味ではなくて!その…。」

そんなつもりなく言っている。
頭では理解してるが、これは俺にしてみれば【殺し文句】以外の何ものでもない。

まぁ。顔を赤くして俯いている姿を見れば、何かを言ってやろうなんて考えは失せてしまうが。

「…ククッ、姫野さん。分かってる、分かってる。男はちゃんと見定めて、あなたの"女の勘"で選んで、"今だ!"って思うタイミングで飛び込むのが良いだろう。自分の勘は、何よりも信頼して良いと思う。」

「は、はい。」

「さて。話を戻そう。…あなたの第六感がそう言ってるのなら、それはきっと間違いない。分かった。ただし、俺から1つ頼みがある。一度、姉さんに相談してみてくれないか?…あなたが壁を越えるために努力してるのは…俺に打ち明けてくれた時点で十分感じ取ったよ。…だからこそ、あなたが少しでも楽に話せる環境にさせてほしい。疾患のことも誤解のないように、打ち明けた人間には伝わるように考えたい。」

余計な世話だろうか…。
だが…。デリケートな問題だから、慎重に進めたい。

「もちろん、(なぎさ)先生には最初から相談するつもりでした。…でも、ありがとうございます。そんなところまで気を回して下さって。それで、お願いがありまして…。」

「何をすればいい?」

「部長とAチーム。そして、朝日奈課長と堤課長と立花さんに連絡を取りたいのですが…。」

「そうか。じゃあ、連絡は俺が回してやろうか?…あと、鈴原もだろう?」

「い、いえ!私のことなのに、課長にそんなことまでお願いできません!」

「いいよ。これぐらい甘えろ、1人で何でもやろうとするな。」

俺は、姫野さんの頭をポンポンと撫でていた。


こうして、【姫野さんの打ち明け話】をするための【飲み会】を近日中に行うと決めた後、俺たちは15分で昼食を摂った。
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