男嫌いな“淑女(レディ)”の口説き方
「柚ちゃんと立花さんが誘ってくれたから…。1人じゃ来れなかったです。嬉しかったんです、誘ってくれて…。」

私と課長は、声に出しても〈PTSD〉のことが分からないような部分だけ音声で会話する。

ーそれに、白石先生とも約束してるんです。
『1人で行くのが不安なところは、誘われたり
行事として行くことにしましょう。
徐々に…無理のない範囲で。』って。
今日なら頑張れると思ったんです。
メモ、このテーブルの皆さんにも見てもらって下さいー

「そうか。」

ーだったら、現在進行形で頑張ってるな。
本当に限界が来そうな時…姫野さんなら
1人になって、クールダウン始めてるだろうし
本当に【苦手な場所や人の前に嫌々居る時】だったら
もっと顔色が悪くなるからな。
姫野さんが良いなら、見てもらおうか。ー

課長……。
【異動の話し合い】をしたあの日から…本当によく見てくれてますね、私のこと。

そして私と課長のメモでのやり取りが、このテーブル内でのみ回された。
それを見た立花さんが静かに口を開く。

「そうなのね?…じゃあ、本当に無理はさせてなかったんだー。よかった。」

ー〔営業〕のフロアに戻らずに
ここに居られてるんだから
頑張れてるってことだと思うぞ。ー

「よっぽど嬉しかったんだな、2人に誘われたのが。」



「現在進行形で頑張ってるな。」――。
ちゃんと伝わってる、私の頑張り…。

今までは、家族と…白石先生や本条先生しか途中経過の努力まで気づいて褒めてくれる人は居なかった。
でも、本条課長には…ちゃんと伝わってた、嬉しい。

「はい、課長。……そして立花さん。これに()りずにまた誘って下さい。」

私は課長ににこやかに答えたあと、立花さんに遠慮気味に申し出る。

「もちろんよ、喜んで誘っちゃうわ。それにしても。本条課長、さすがですね。すごく自然な流れで会話進めてたから…。“交渉の黒薔薇”の力がこんなところでも発揮されるなんて。」

立花さんが満面の笑みでそんな風に言ってくれる。

「立花さん。その呼び方はやめてくれ。……姫野さん。すまないな、食事の手を止めさせて。食べよう。」

そう言って、課長は自身の前で手を合わせる。

「しっかし…ホントにさすが昴。姫野さんの表情がここに来た時と全然違う。すごく穏やかな顔つきになった。お前呼んで正解だった。やっぱ、お前。精神科医でも良かったんじゃないか?」

鳴海部長が感心するように声を上げる。

「何言ってんっすか、“先輩”。俺は“あの人たち”ほど器用に…他人のデリケートな話なんか聞けませんよ。それに、俺が機械イジってる方が好きなのは…あなたが一番知ってるでしょうが。」

本条課長がここまで言葉を崩すなんて…"素"ってこんな感じなのね、ふふっ。

「でも、ホントにビックリですよ。【姫ちゃんの異動についての話し合い】をした時から思ってますけど、姫ちゃんが男の人に"ここまでの笑顔"を見せるの…彼女のお父様と“先生”と本条課長だけですよ。」

柚ちゃん、ちょっと落ち着こ?

「何が要因なんだろうね…。」

「たぶん、間の取り方です…。課長は私と込み入った話をする時…私の立場で、空気感で話を聞いてくれているような気がします。課長と話してると…時間がゆっくり流れている気がするんです。決して急かさず待ってくれますから。」

「【時間の流れがゆっくりに感じる】ってことは…リラックスできてるんだね。きっと。」

「柚ちゃん!それだと思う!それに、私が"まだ聞いてほしくない"って思ってることは…課長に聞かれたことないです。」

「うん、【相手のことを考える】。大事だね!僕も、姫野さんのペースを感じ取れるようにしておくよ。」

私は「鳴海部長は、すでに十分して下さっています。」と言いつつ、(さわら)の塩焼きを一口頬ばる。
それに対し彼は、「いや、姫野さんが【本当に体調が悪いか、不調だけど…まだ休むほどでもないのか】…僕は分からなかった。でも昴はここに来た時、察してたからさ。」と切なそうに笑った。

「俺も全て分かるわけじゃないですよ、部長…。ただ、気に掛けてみると意外と気づくもんですよ?姫野さんの【SOSサイン】に。」

「そっか。」

「……あっ。そういえば姫野さんに伝言だ。“さっき俺が営業に行ってたところのお客様”からだが…『電話対応が丁寧でこちらの要望も伝えやすかったとお伝え下さい。』とのことだった。…さすがだな。」

“さっき営業に行ってたところのお客様”って…あっ!本条先生!

本当に…会社では家族構成とかバレないように、徹底してるんですね…。

まぁ、ご実家が病院なんて言ったら…今以上に面倒ですもんね。
芹沢さんみたいな…“外見だけ見てる女性社員”とか、“財力目的の女性社員”とか、“【医者の息子】っていう肩書きがほしい女性社員”とかに絡まれて…。

そんなことを考えている意識の後ろで、「あと、『使いやすいPC手配してくれた観月さんにもお礼伝えといて下さい。』とも言われたぞ。」と観月くん本人に伝えている声が聞こえる。

「『姫野さん、体調良く仕事できてるならよかった、安心した。頑張ってるな。』って…兄さん、笑ってたよ。」

課長が、一段と声を潜めて教えてくれた。

本条先生、心配して下さってたんですね。

「結局【TS6の29Z】で良かったんだな、本条。西澤から聞いだけど…。悪かったな、俺が対応できなくて。……あぁ。それと【PST2】盤の発注もちゃんと受け取ったよ、発注依頼者…姫野さんでな。」

「いえ、とんでもないです。結城課長。私も他の電話対応中だったので、観月に任せましたしね。……ありがとうございます、よろしくお願いします。」

確か、結城課長って…本条課長の〔開発課〕に居た頃の“指導係”だったような気がするけど…違ってたかしら。

「本条。姫野さん、大事にしてやれよ。…発注が来た後わざわざ電話もくれたよ、彼女。『数回のチェックはしましたが、初めて作成したので不備があったらすぐご連絡下さい。』って。もちろん、ノーミスだったがな。…昨日、お前と挨拶に来てくれた時も思ったが、丁寧に対応してくれる人だな。お前が気に入るわけだ。彼女なら、お前のスピードについてくだろうな。……姫野さん、本条をよろしくね。」

結城課長はそう言って、爽やな笑顔を私と本条課長に向けてくる。

そして本条課長も、自身を呼ぶ結城課長の声に反応して上半身を捻り、彼の方を向いてこんな言葉を返していた。

「光栄です、部下をかつての“指導係”に評価していただけるなんて。」

素敵な師弟関係ですね、課長。

「結城課長。こちらこそ、よろしくお願いします。」

私も結城課長にそう言いつつ、お(しと)やかに笑って会釈した。
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