天空のエトランゼ{Spear Of Thunder}
女には、過去の記憶はなかった。

だけど、明確な思い出だけは残っていた。



保険も、保証もない…アルバイトだった女は、体が弱かった為、

せめて…保険だけでも入ろうと役所に来たのだ。

手続きに来た女を、役所の人間は笑った。

「保険もないところで、働いてるの!」

「あ!最近はあるある!」

小馬鹿にした役所の人間の顔だけは、覚えていた。




女は、足を戻すと、応接間から出て、さらに職員を探したが…動く人はいなかった。

「奈津美君!もう気がすんだかね?」

山根は、肩をすくめながら、奈津美と呼ばれた女の後ろに立った。


奈津美…かつて、その女は、さつきと呼ばれていた。

記憶を消され、新たな名を与えられていた。


さつきだった時は、職員にばかにされても、あたしが悪いと思っていた…はずだ。


しかし、奈津美になってからは、残っていた少しの痛みが、心の奥から浮上し、

奈津美の心を切り裂いていた。 

「山根様。監視カメラも破壊しました」

山根のそばに、どこからか現れた1人の女が、耳打ちした。

「建物自体を爆破しますか?」


山根はにやりと笑った後、

「いいよ!エレベータだけ使えなくしたら」

そう言うと、奈津美の肩に手を起き、

「おいとましょうか?」

山根の言葉に、奈津美は頷いた。

「じゃあ!千秋君…引き上げようか」

先ほど耳打ちした千秋に、山根は微笑みかけた。

そして、歩き出そうとするが、ちらりと視線の端に、たたずむ宮嶋の姿が映った。

「どうした?宮嶋君?」


宮嶋は、役所内で転がる死体を見下ろしていた。

若い女だ。

山根は、目を細めながら、ため息をついた。

「いいけど…後片付けはやっておいてね」

山根は、そういうと、役所内の窓を開けた。

エレベータで帰る必要はない。

窓から、山根、奈津美、千秋の順に、飛び降りた。





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