夜叉の恋
やがて人の耳にも届くであろう大きさで川のせせらぎが聞こえてくる。
木々の間を縫うようにその場へ辿り着くと、そこには既に小袖の裾を捲り上げて川に入ろうとしている寧々の姿が目に飛び込んできた。
「……寧々――」
思わず声を上げれば、静に気付いた寧々は振り向き様に手を振って笑顔を向ける。
浅瀬の川。
小さな寧々でも、水位はせいぜい膝辺りだ。
川の流れもそれ程速くはない。
恐らく、人の子でも大丈夫だろう。
推測の域を出ないのは、前に述べたように静にとって人の子というのは未知の生き物であるから。
と、判断を下したその時。
「……!」
水飛沫と共に水中に消えた寧々に、静は咄嗟に藍色の着流しを翻した。
「おい――……」
迷うことなく見つけ出した小枝のような手首を掴み引き上げる。
そして柔らかな頬をもう片方の手で掴むと、無理矢理自分の方へと向かせた。
「――――」
……開いた口が塞がらない、とはこのことか。
きょとんとした真ん丸の栗色の瞳が、静を見上げて不思議そうに瞬いた。
「どうしたの? そんなに慌てて……」
頬を掴まれたまま、タコのような口で静に問う人騒がせ――否、妖騒がせな人の子。
静は溜息を吐きながら念の為、と口を開いた。
「……今、何をしようとしたんだ? 寧々」
「え? 泳ぎながら水飲んだり、魚獲ったりしようかなって……」
濡れ鼠のような風体で、静に片腕を掴み上げられたまま問われるままに応えるその姿に、静は「……そうか」と半ば呟くようにしてその手を離した。
「え? え? 静さん?」
「いや、いい。何でもない」
そのままざぶざぶと川岸へ上がると、傍にある木に寄り掛かるようにして座る静。
寧々は暫く疑問符を頭上に浮かべておどおどとした後、はっと気付いた様子で慌てて川から上がると静の許へ駆け寄った。
そして徐にちょこんと傍らに座ると、小さな手で静の濡れた着物の裾を掴んだ。