じゃあなんでキスしたんですか?

 
尾行をする者の常として、わたしは変装用の帽子とメガネを着用していた。
 
マイに黙って借りてきた伊達メガネは黒いフレーム部分が厚く、かけていると印象が大きく変わる。これで万が一、森崎さんの視界に入ったとしても、すぐにはわたしと気づかれないはずだ。
 
しかも森崎さんは行き交うひとよりも頭ひとつ分飛び出ているから、後ろから追っていても見失う心配がない。
 
ふたりは駅のコンコースから表に出ることなく、地下道と直結している老舗百貨店へと入っていった。
地下の売り場からエレベーターのほうへ歩いていく。
 
背中を冷や汗が落ちた。
 
エレベーターになんか乗られたら、見失ってしまう。かといって堂々と同じ箱に乗り込むわけにもいかない。
 
幸いエレベーターを待っている客の姿は多い。

わたしは瞬時に心を決めた。
 
贈答用の菓子折りが行儀よく並べられたショーケースの陰に身をひそめ、エレベーターがやってきた瞬間を狙って、一目散に走る。
 
森崎さんたちが乗り込んだのを見計らって、すばやくあとにつづいた。
 
万が一すぐそばに立つことになっても、背を向けてしまえば、つばの広い帽子のおかげでわたしの顔は見えないはずだ。

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