理想の都世知歩さんは、




さらりとそんなことを言って、何度も私の心を攫っていく。



私は、つられて笑うようにしかできなかった。



「でも、春に言ってたから間に合ってよかった」


約束も出来なかったことを覚えていてくれて、うれしかった。

あの時は引っ越すことを言う前で、約束なんて出来なかったから。


「仕事?」


「ん、仕事の後菜々美のとこ寄って」



ななみさん。



「会って、ないなぁ」


ぽつりと呟いた。

頭の中では、あの雨の日を思い出していた。膨らんだ気持ちは気儘に萎んでしまうのだ。


そのあと歩き出した隣で、都世地歩さんはそっと息をついた。



「中村さん家の息子がさー」


「え」


「中村さん家の息子。…あれ、衵もしかして会ったことなかった?」

「息子?」

「ん、一緒に住んでる。俺前に会ったことあるか聞かなかったっけ」


そんなことあったかな…。


「育てたとまとが生ったとか言って分けてくれたんだけど、全部腐ってて」


都世地歩さんは、こんな悲しいことってある?と白けた顔をして話を続けた。


中村さん家には、男子二人と女子一人の子どもがいること。

会っていないことの方が不思議だから、もしかしたら何処かで擦れ違ってはいたのかも。


それから、猫の夏彦殿のことも。

りっちゃんのことも。

りっちゃんが猫っぽいから、夏彦はりっちゃんのことを仲間として見てる、あれはそういう目だ俺には分かるとか言っていて、笑ってしまった。


そういうこと。


話していたらいつの間にか家についていて、「じゃーな」と私を撫でて。

「袿くんに宜しく」って、手を離す。


ヒーローは、泣いている人がいたら助けてくれる。


けど。


泣いていた人が笑ったら、また何処か遠くに行ってしまうから。



私たちはいつも、「いかないで」なんて。




言わない。





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