世界でいちばん、大キライ。

『今まで飲んできた中で、いちばん美味い』

ふと、あの夜に久志に言われた言葉が頭を掠める。
今のこの心情のままじゃ、味に表れそうだと思った桃花は、目を閉じゆっくりと深呼吸する。
そしてゆっくりと瞼を上げ、目の前にあるサーバーやドリップポットを捕えると平常心を心掛けていつも通りに向き合った。

久志のオーダーしたコーヒーを淹れ終わると、もうひとつのオーダーカフェラテに取り掛かる。
エスプレッソマシンから抽出した濃褐色の液体に、コンコンと軽くそこを叩いたミルクピッチャーを傾けて勢いよく注ぎ込む。

ラテアートの基本は、大抵ハートやリーフと呼ばれるものを描く。
いくら気持ちを最大限に仕事モードに切り替えようとしたところで、100パーセント私情を抑え込むことなんかできやしない。

桃花は、本当になんとなく……口では言い表すことが出来ないが、ハートマークを提供するような気持ちにはなれずに。
シンプルなリーフをどうにか描いて、窓際の席に掛けるふたりの元へと足を向けた。

いつもは久志ひとりで座る窓際の席。
陽射しが高くなってきたその光に少しだけ目を細めながら、ふたりのシルエットを少し遠くから見つめる。

静かな店内ではあるが、会話までは聞き取れない。
穏やかそうに話す様子の女性を軋む思いで見ながら、桃花はトレーを持ってふたりの間に立ち止まった。

「お待たせ致しました」

桃花が声を掛けると、ふたりの会話はぴたりと止まる。
そして、女性客の方は、カチャ、と静かな音を立てて置かれた目前のカップに視線を落として感嘆の声を漏らした。

「わ……すごい。ラテアートってやつだ。きれい」

今日の秋晴れのような陽射しに似た柔らかな笑顔を久志に向ける。
たったそれだけのことで、桃花は居たたまれない気持ちになった。
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