姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 その頃宗明は柳生の部屋にいた。
 
 じっと押し黙る宗明に、柳生は煙管を咥えたまま庭を眺めている。

 浪人者との手合せが終わった後、庭で立ち尽くしていた宗明に部屋へ来るように促した柳生だったが、特に慰める言葉を掛けるつもりはないようだ。

 沈黙のまま時間だけが過ぎていった。

 しばらくして、柳生が煙管をひっくり返して、煙草盆にトンと軽く打ち付けた。

 その音を合図にしたように、宗明が勢いよく畳に手をついた。

「お師匠さま。私を鍛え直してください」

 そんな宗明を柳生は目を細めて見返した。

「免許皆伝も受けた、そなただ。今更良かろう」

「いいえ。あのような浪人者に負けるなど、いざとなった時にゆらさまをお守りできるとは思えません。どうか、今一度稽古を!」

(まったく真面目な男だ……)

 苦笑を浮かべる柳生に気付かず平伏し続ける宗明に、ややして柳生が言った。

「風間との勝負は五分五分であった。どちらが勝っても負けても文句は言えぬ。それを分かっていながら、そう申す
なら、宗明よ。通うてくるがいい」

「お許し頂けますか」

「昼間は稽古があるし、そなたも務めがあろう。日が暮れてからでも良ければ、来るがいい」

「はい。有難うございます」

 余程新之助に負けたことが応えたのか。この日を境に、ゆらのお付きとは別に、足繁く道場に通う宗明の姿が見ら
れるようになった。






 道場に戻ったゆらは、どれだけ落ち込んでいるかと内心びくびくしていた宗明が、変わらず穏やかでほっと胸を撫で下ろした。

 それに、一人で新之助に煮物を届けたこともばれてはいないようで、そのことにも安心した。

「帰ろっか。宗明」
「そうですね」

 それ以降家路を急ぐ二人の間に会話はなかった。

 吹き過ぎる風は湿気を帯び、今しも雨が降り出しそうだった。

 まだまだ夜になれば寒い季節。それなのに、この夜は生温かく、ねっとりと纏わりつくような空気で、ゆらはしきりに空を見上げては顔を曇らせた。

 宗明はそんなゆらの数歩あとを離れて歩きながら、抱きしめたい衝動に駆られる己を律し続けていた。


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