姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「では戻りましょう」と踵を返せば、ゆらは着地したまま動き出さない。

「姫さま?」
「もう少し……」

「はい?」
「もう少し庭を散策したいなあ」

「それなら、あやめどのに無事を伝えてからに致しましょう。心配していますよ」

「だったら、三郎太が行って来てよ。わたし、ここで待ってる」

 ゆらは樫の幹にもたれ俯いた。

(全く分かり易い姫さまだ)

 宗明は小さく息を吐くと、ゆらの前に戻った。

「何かありましたね」

 それは疑問ではなく肯定だった。

 ゆらはギクッとしたが、「何もないよ」とかぶりを振った。

「何があったんです?」

 引く気などない宗明は、一歩ゆらに歩み寄った。

 顔を上げないゆらを見つめながら、宗明は素早く心当たりに思いを巡らせていた。

(腰元たちと喧嘩……はありえないな)

 ゆらの性格上、自ら他人との間に波風を立てるとは思えない。

(では、何があった?)

 自分の胸の高さほどしかない小柄な姫。その彼女がさらに小さく頼りなく見え、宗明は己の内に滾たぎり始める熱い想いに気付いていた。

 木漏れ日の下。

 彼女の白い肌に木の葉の影が写り、彼女を撫でるように揺れている。

 それに触れようと手を伸ばし掛けて、宗明は我に返ったように拳を握った。

「ゆらさま」

 己の声が掠れている事を可笑しく感じながら、声音を優しくして語り掛けた。

「何か思うことがおありなら、お話し下さい」

 彼の視線の下で長い睫毛が震えた。

 胸を高鳴らせながら姫の言葉を待っていると、ややして「……出るの」と呟いた。

「え?」
「だから、出るの」
「出るって、何がです?」

 するとゆらは、顔を上げたかと思うと、宗明に向かって両手を突出し、手首から先をぶらんと下げた。

「だから、これよ。これ」

 大きな丸い目をさらに大きくして訴えた。

(ああ。何処まで可愛いんだ。この子……)

 誰もいない木陰。

 抱き締めてしまわなかった己を褒めてやりたくなりながら、宗明は姫の訴えに耳を傾けた。
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