読書女子は素直になれない
第1話

「なんてことねぇよ」
 十年ぶりに聞いたその台詞に、忘れ掛けていた恋心は確実に再燃した。彼の横顔は当時と変わらず飄々とし、笑みを含んだその唇にはいつもドキドキしながら見つめていた切り傷があった――――


――十年前

「イガイガ菌がうつるぞー!」
「うわ、汚ねえー!」
 五十嵐千晶(いがらしちあき)の肩に触れたクラスメイトの男子は大袈裟に騒ぎながら教室を後にした。いつものことで慣れたとは言え、千晶の心には見えない傷が無数につけれている。その傷の数はこの小学校に転入してから始まり、今では数え切れないくらいの凄惨さとなっているが、その傷に気づく者は誰もいない。
 担任はもとより両親にも黙っており、クラス全体が千晶を避ける空気が出来上がっていた。生来の引っ込み思案ということもあるが、抵抗したところでその反応をまた槍玉に挙げられ、傷口が広がる事を知ってからはただ黙して耐えている。方言の強い田舎から転校し、気を許せる友達もおらず、友達と言えるものは本の中の登場人物のみとなっていた。

 六年生となった今春、自分の席に座り図書室で借りたばかりの小説を広げた。始業前ということもあり男子生徒は暴れ回り、女子生徒はドラマや趣味の話題に花を咲かす。ちょっかいを出してきたのはクラスでも少し素行の悪い生徒で、千晶の肩にタッチした後、バイ菌ゲームとしてクラスの男子と戯れていた。
 五年生から六年生に上がるときにはクラス替えは行われず、仲の良い友達が居ればそれは良いことだが、千晶のようにイジメの問題があった場合はそこも継続されてしまう。抗議しても無駄なことは理解しており千晶は何事もなかったかのように小説を読む。
 隣の席に座るクラス委員長は額面通り真面目な男子生徒だが、千晶へのイジメ問題にはついてはスルーしており器が知れた。イジメのターゲットにされないように周りと同調し保身する気持ちは理解できるが、委員長という立場を考えた場合それは通用しない。教諭や保護者の前ではいい子ぶり、都合の悪いことには見て見ぬふりをする、典型的な利己主義者がクラスの代表という現状に千晶は世の儚さを感じていた。
 それを裏付けるように、隣り合わせである千晶の机と委員長の机との間には数センチの隙間があり、クラス内で千晶に行われているバイ菌扱いを彼も意識し実践していることが分かる。
(真面目で良い生徒を演じているぶん質が悪い。こんなヤツが学級委員長だなんて、このクラスは終わってる)
 内心で軽蔑しながら文章に目を落としていると背中に何かが当たる感覚を覚え振り向く。教室の後ろには悪ガキ三人衆がニヤニヤしており、その手には牛乳キャップが握られている。視線が合っても悪びれる様子もなく、早く前を向けと言わんばかりに腕をぐるぐる回す。
(このまま読書してたらまた投げつけられる。仕方ない……)
 本を閉じるとそのまま教室を後にしトイレへと向かう。悪ガキと言えど女子トイレの中までは入って来れず、千晶にとってここは安息の地となっていた。幸い女子生徒からは無視されているだけで直接的な被害はなく、真の意味でここが千晶の安全地帯だ。

 ホームルームが始まる直前まで避難し、担任の新庄香(しんじょうかおる)が入ると同時くらいに教室に戻る。
イジメが始まるといつもはこのパターンで難を逃れていたが、今日はホームルームの時間になってもなかなか現れない。教室に戻ると三人衆が待ち構えていたように詰め寄る。
「また便所に逃げてたのかよ、この便所虫」
「臭い匂いをさらにパワーアップさせやがってウザいんだよ」
 三人に囲まれ身動きが取れない中、他のクラスメイトは全員見て見ぬふりを決め込む。助けを求めてもどうにもならないと分かっているだけに千晶は黙り込んで耐える。
「なんとか言えよ、この虫女」
 リーダー格の後藤翼(ごとうつばさ)に肩を乱暴に押され床に倒れ込んでいると、その上から牛乳キャップの蓋を投げつけ笑いながら罵倒される。
「オマエが居たら教室が臭んだよ! もう来んなボケ!」
「オラオラ、蓋で退治してやるよ! この虫!」
 翼の腰巾着である二人の男子生徒が容赦なく投げつけていると翼が制止し口を開く。
「ヤバイ新庄が来たぞ! 席戻れ! 虫もささっと戻れ。戻らないと後で酷い目見せるぞ」
 脅しとしか取れない翼からの言葉に千晶はしぶしぶ立ち上がり席に向かう。香が入って来ると同時にその後ろからは転入生と思しき男子生徒が現れ、クラスメイト全員がその男子に注視する。黒板に書かれた名前の男子生徒は、緊張する様子もなく飄々とした態度挨拶をした。
「鷹取蓮(たかとりれん)って言います。みんな宜しく!」
 はにかんだような笑いを見せるその男子生徒が千晶にとって生涯忘れられない存在となると、このときは全く予想だにしていなかった――――


――蓮の自己紹介が済むと新学期恒例の席替えイベントが始まりクラス中がざわつく。憧れの相手と隣に座りたいと思う女子もいれば、窓際の一番後ろという教諭から遠い場所を好む男子も多数いる。席の場所は毎回クジ引きで決まり、出席番号順にクジを引いていく。千晶が引いたクジは中央ラインの一番後ろと悪くない。無視されることが確定されているため、隣に座る男子が誰だあるかはさして問題ではない。机と椅子を持ったまま移動すると、隣には既に男子生徒が座り千晶を見上げており笑顔で話し掛ける。
「初めまして、五十嵐千晶さん? で、読み方合ってる?」
 給食袋のネームプレートを見ながら蓮は問う。
「はい、五十嵐千晶です」
「よかった。宜しく、五十嵐さん」
 優しく挨拶をされるが千晶は返答に戸惑い会釈するだけで机を並べる。いつもの癖で机と机の間を少し開けて置くと蓮の方から机を寄せられる。転入したてでクラスの事情を知らないとは言え、机を寄せられると対応に苦慮してしまう。自分に関わることで転入早々イジメの対象になってしまうのは心苦しい。
 くっついている机を少し離すと蓮はすぐさま机をくっつける。二回ほど繰り返すが蓮は容赦なく机をぶつけてきており千晶は諦めた。休み時間になると蓮の周りには人が集まり、それを予期していた千晶は終鈴早々安全地帯に逃げ込む。
(転入生が来ようと自分の環境が変わるわけでもない。私はこれからもずっとこうやって過ごしていく運命なんだ)
 今後の未来を想像しながら便座に座り本を広げていると、突然ドアがノックされ本来の使用を目的にした生徒に席を譲る。仕方なく教室に戻ると蓮の周りには複数の男子がおり楽しそうな雰囲気で話している。申し訳なさそうに席に座ると三人衆のリーダーこと翼が千晶に聞こえるように言う。
「隣の女、汚いバイ菌女だから気をつけた方がいいぜ」
「バイ菌?」
「ああ、こいついつも便所にこもってんだ。臭いし汚いから便所虫ってあだ名もあるんだ」
「便所虫?」
「あっ! こいつ鷹取君が知らないことをいいことに机くっつけてやがる。ずうずうしいんだよ虫」
 そう言うと翼は蓮の机を持って間を開ける。そこへちょうど予鈴が鳴り三人衆も席に戻る。
(相変わらず最低なヤツ。どうやっても私を孤立させたいんだな)
 呆れつつ去って行く翼の背中を見つめていると、蓮が話しかける。
「五十嵐さん、バイ菌とか虫とか呼ばれてるの?」
「はい」
「呼ばれて嬉しい?」
 そう言われて千晶は顔を曇らせる。教室の扉が開き香が入ってくると蓮は突然席を立ち声を上げる。
「先生! 五十嵐さんが後藤達からイジメられてるんですが、なんで止めないんですか?」
 その行動にクラスメイト全員が唖然としてしまう。
「イジメって、鷹取君ホント?」
「さっき俺の前でハッキリ教えてくれましたからホントですよ。後藤が五十嵐さんを便所虫とかバイ菌とか言ってましたし」
 言われた翼は顔を赤くして蓮に向かう。
「オマエ、転校してきたばかりで何言ってんだ! 何も知らないくせに変なこと言ってんじゃねえよ!」
「変なこと? オマエがついさっき俺に言ったことだろうが。ボケてんのか?」
「何だと! 喧嘩売ってんのか!?」
 翼が席を立ったところで香が割って入る。
「後藤君座りなさい! 鷹取君も」
「先生、座るのはいいけどイジメの問題どうにかしてくれるんですよね?」
「イジメてねえって言ってんだろうが!」
「カスは黙ってろ!」
 一際大きな声で言い放つ蓮の姿を見て、千晶はどうしていいか分らずオロオロするしかない。
「先生、どうなんですか? イジメ問題ちゃんと調査してくれるんですよね?」
「分かったわ。五十嵐さんや後藤君他、みんなに聞いて調査するわ」
「ありがとうございます。大声出してご迷惑をおかけしました。でも、迷惑ついでにもう一つ言わせて下さい。イジメを見て見ぬふりしてた他全員もカスだ。今後このクラスでイジメを見たらぶん殴ってでも止める。それを覚えておいてくれ。以上です」
 席に座る蓮をじっと心配そうな顔で見つめていると、今まで見たこともないような優しい笑顔を見せた後、開いていた机の溝を埋め一言だけ告げた。
「イジメなんて、なんてことねぇよ」

< 1 / 21 >

この作品をシェア

pagetop