読書女子は素直になれない
第2話

 蓮の宣戦布告は絶大な効果を発揮し、今までちょっかいを出してきた三人衆は借りてきた猫のように大人しくなった。担任の香は当然ながら教頭や他の学年教諭も一丸となり、クラスメイト全員に一斉調書を取りイジメ問題に対し真摯に対応した結果だ。
 ただ、教師たちのあずかり知らないところでの決着もあったようで、顔面傷だらけの蓮と翼を見たとき真の意味でイジメ問題が解決したのだと知る。喧嘩があったことは容易想像できるが千晶からは何も聞けず、唇に出来ていた大きな切り傷をハラハラしつつ見つめることしかできなかった。
 こんなにあっさり解決するならもっと早く相談すればよかったと思う反面、蓮が強烈な意見を放ち戦ったからこそ、この結果を生んだのだと実感する。この問題は全保護者にも通達され、千晶を救うために動いた蓮の存在を知った両親は、菓子折り持参で鷹取家へと謝辞を述べに行く。帰りの道すがら、恋人にするならああいう男の子にしなさいと母親に言われ顔を赤くした――――


――中学に上がると他校の生徒も加わり環境は大きく変わる。蓮とは違うクラスになり寂しい思いもするが、それほど親密になったという訳でもなく現状を素直に受け入れる他ない。大人しい千晶にも普通に話せる友人はできたが、基本一人でいることが多く趣味の読書に没頭していた。一方、蓮はバスケ部に所属しており運動神経の高さから注目されているようだ。
 小学校のときから蓮は運動が得意で女子にも人気はあった。ただ、勉強が大の苦手でいつも読書ばかりしていた千晶を唖然とした顔で見ていた。一度、何でそんなに本ばかり読むのかと問われときがあり、そのときの回答でいたく感心されたのを覚えている。さりとて蓮が読書に興味を持つことはなく、クラスのムードメーカーとしていつも皆の中心にいた。

 穏やかで平凡な中学校生活を送っていた二年生の冬、図書室で図書委員としての本分を果たしていると蓮がひょっこりと顔をみせる。二年でもクラスが一緒になることはなく、交流は全くなかったが顔が会えば流石に会釈はする程度だった。突然の訪問にどぎまぎするも平静を装い対応する。
「もう閉館の時間だけど本借りに来たの?」
「いや、五十嵐さんに会いに来た」
 自分に会いに来たとハッキリ言われると緊張せざるを得ず、ごまかすかのように貸し出し表を片づけながら話を続ける。
「何の用?」
「ああ、五十嵐さんのおすすめの本って何かなって」
 予想外な問いに千晶は驚きを隠せない。
「その顔、予想外って顔に書いてあるな。感じわりぃ~」
「ご、ごめんなさい。読書を全くしない鷹取君が本のことを聞くなんて思いもよらなかったから」
「まあ当然か。で、何かある?」
「唐突に言われても……、好きなジャンルとかある?」
「ない。だから五十嵐さんのおすすめでいい」
「おすすめか。本当になんでもいい?」
「ああ」
 少し考えると千晶は本棚に向かい三冊の本を手に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「いきなり三冊?」
「上中下巻だから」
「『こころ』夏目漱石、か」
「タイトル通り心にグッとくるわ。心理描写も凄いし。私が借りたことにしとくからそのまま持っていって」
「ありがとう。まあ読んでみるわ」
 そう言うと蓮は本を鞄に詰め外に出ていく。その姿を確認すると図書室を閉め廊下に出る。鍵を職員室に返し下駄箱に向かうと、本を片手に扉付近に寄りかかる蓮の姿が目に入った。おすすめした小説を読む姿を見て嬉しくなる一方、自分を待っているということは一緒に下校することを意味し緊張感も高まる。
 靴を履き替え蓮の元に歩み寄ると、案の定途中まで帰ろうと誘われる。昔からのことで理解していることだが、蓮には男女の差別も区別もない。誰に対しても同じ調子で話し向かい合っていた。女子と仲が良いとからかわれがちな思春期真っ盛りな今でもそれは変わっていないように見られ、蓮が自分に対してどんな感情を抱いてるのか知ることもできない。

 今にも落日しそうな空の下、千晶と蓮は並んで通学路を歩く。二月ということもあり肌に当たる風の寒さは厳しい。気づかれないようにチラっと唇をみると、あの時の傷が今でもしっかり見られ胸がチクリと痛む。緊張しつつも特に話題無く歩いていると蓮の方から口を開く。
「小学生の頃、五十嵐さんに小説を読む理由を聞いたの覚えてる?」
「うん、覚えてる」
「小説を読んでいるときはその物語の中に飛び込める。行ったことのない国に行き、経験したことのない経験ができる。読んでいる間は自分が世界の主人公になった気持ちになれる。この言葉を聞いたとき衝撃的だった。同い年なのにこんなしっかりした世界観を持ってるなんてスゲーって。正直敵わないとすら思ったよ。まあ実際勉強じゃ手も足も出ないんだけど」
 自分に向けられていた感情が尊敬の念と知り千晶は照れてしまう。
(まさか鷹取君が私のことをそんなふうに見ていたなんて……)
「私は単に読書が趣味なだけの普通の人だよ。勉強だってトップってわけじゃないし。逆に行動力と勇気のある鷹取君の方が私は尊敬に値すると思う。本を読んだり勉強することより、自分らしく行動できるってことの方が魅力的だもの」
「いや~、単純馬鹿なだけだから。頭より先に身体が動いちまうだけ。どんだけ頭使ってないんだよって感じだよな」
 苦笑いする蓮に千晶もつられて笑う。
「だからさ、ちょっとでも頭を使ってやろうかって考えて、本を読むことにした。本のことを聞くなら五十嵐さんの右に出る者はいない。そういう流れで今に至ってるのさ」
「なるほどね。納得」
「それに……」
 一瞬口ごもるが蓮はそのまま続ける。
「それに、五十嵐さんと本のことについて話したかった。小学生の頃は馬鹿だったから、いや、まあ今も馬鹿なんだけど、本について語れなかったから五十嵐さんと話すことはほとんどないし。だから、少しでも話せるようにって思ったんだ」
「私と話すため?」
 ドキドキしながら聞いた後に返ってきた言葉は、千晶にとって身を裂かれるようなものだった。
「ああ、残り一カ月、悔いのないようにしたかった。俺、来月で転校するから」

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