記憶と。
アルバムの中で一番多い、3年2学期の写真の中に、僕達は一枚も写っていなかった。
それは、アルバムの編集に入っていた健二の配慮だったんだろうか。
それが真実かどうかはわからないけど、親友のやさしさが、僕の目を、少し潤ませた。
健二の電話から2日がたった。
それでも、まだだれからの連絡もなかった。
旅行に行ってた家族も帰ってきた。
しかし僕は、誰にも話さなかった。
ただ、元気になったとか、もう会って話せるとか、そういう電話をずっと待っていた。
僕は、なんとなく外へ出た。
前の日はいろいろ考えたりしていたせいもあって、ずっと部屋の中にいた。
さすがに2日間も部屋の中に閉じこもるのも、気分が滅入ってしまって少し耐えられなくなりそうだった。
僕は自分のバイクに乗り、ゆっくり、昔綾子とよく歩いた道を走っていた。
そして地元で2つしかない信号機、その1つで僕は止まった。
1月の空は、とても寒くて、30分程度しか走っていない僕の体も冷え切った。
そして、なんとなく路肩に目をやると、小さな白い、縦に細長い看板が目に入った。
「・・・。高木家・・・。葬儀場・・・。・・・高木 綾子・・・。」
田舎の小さな葬儀屋の看板だった。
田舎は老人比率が高く、ほぼ毎日のようにその看板は立っていた。
もちろんずっと住んでいる僕にしてみれば、もはや気にしたことさえなかった。
それでも、僕の目の中に入ってきたのは、高木 綾子の看板だった。
僕はわけが解らなかった。
たしかに倒れたと電話があった日。
健二も、おばさんも、大丈夫だといった。
いまどき、睡眠薬じゃ死ねないもんだと。
それなのに、あそこには、綾子の名前が書いてある看板があった。
僕は必死に書いてあった場所へ向かった。
その前にいろいろ走っていたせいもあって、ガソリンもかなり減っていた。
それでも、とても給油をしている余裕はなかった。一刻も早く、真実を知りたかった。
それは、アルバムの編集に入っていた健二の配慮だったんだろうか。
それが真実かどうかはわからないけど、親友のやさしさが、僕の目を、少し潤ませた。
健二の電話から2日がたった。
それでも、まだだれからの連絡もなかった。
旅行に行ってた家族も帰ってきた。
しかし僕は、誰にも話さなかった。
ただ、元気になったとか、もう会って話せるとか、そういう電話をずっと待っていた。
僕は、なんとなく外へ出た。
前の日はいろいろ考えたりしていたせいもあって、ずっと部屋の中にいた。
さすがに2日間も部屋の中に閉じこもるのも、気分が滅入ってしまって少し耐えられなくなりそうだった。
僕は自分のバイクに乗り、ゆっくり、昔綾子とよく歩いた道を走っていた。
そして地元で2つしかない信号機、その1つで僕は止まった。
1月の空は、とても寒くて、30分程度しか走っていない僕の体も冷え切った。
そして、なんとなく路肩に目をやると、小さな白い、縦に細長い看板が目に入った。
「・・・。高木家・・・。葬儀場・・・。・・・高木 綾子・・・。」
田舎の小さな葬儀屋の看板だった。
田舎は老人比率が高く、ほぼ毎日のようにその看板は立っていた。
もちろんずっと住んでいる僕にしてみれば、もはや気にしたことさえなかった。
それでも、僕の目の中に入ってきたのは、高木 綾子の看板だった。
僕はわけが解らなかった。
たしかに倒れたと電話があった日。
健二も、おばさんも、大丈夫だといった。
いまどき、睡眠薬じゃ死ねないもんだと。
それなのに、あそこには、綾子の名前が書いてある看板があった。
僕は必死に書いてあった場所へ向かった。
その前にいろいろ走っていたせいもあって、ガソリンもかなり減っていた。
それでも、とても給油をしている余裕はなかった。一刻も早く、真実を知りたかった。