夫の顔
「待って、ケイタ」
名前を呼ぶのも、何年ぶりだろう。ああ、そうか、名前を呼ばれたのも、もう……
「今日、ショウゴに会ったの。ショウゴね、幸せそうだった。子供も三人いて、今一番上は中学生なんだって。五年前にね、タクシーの運転手し始めてね……」
何言ってるんだろう。ショウゴの話、今なんでするんだろう。
「幸せかってね、幸せかって……聞かれて……私……幸せって……いつもね、幸せって言うの。誰に聞かれても、ええ、幸せですって。だって、だってこんなにお金持ちになったもん。好きな服も、好きなバッグも、何でも買える。母親がね、お金を無心するのよ。子供の頃、私を邪魔者にして、殴りまくってた母親がね、猫なで声で、私にお金をくれって頭下げるのよ。食べるものもなくて、いつもおなかすいてて、でもね、今は、今はね……ねえ、見て、ケイタ。私、こんなにキレイになったのよ。ねえ、私を見てよ。なんで他の女ばっかり見るの? 私を見て。私を抱いてよ。私のこと愛してよ!」
ああ、もう何言ってるのかわかんない……やっと、離婚できるのに……もう、終わってるのに……バカみたい。カッコわるい。ダッサイ。こんな私……

「じゃあ……じゃあ、俺を愛してくれよ。金じゃなくて、俺を、この俺を愛してくれよ! この俺に抱かれてくれよ! なんだよ……俺はお前の愛が欲しくて、金稼いできてんだよ! お前はいくら出せば買えるのか、ずっとわからなかったんだよ!」

私達は、もう終わってる。ずっと前から終わってるって、思ってた。時々ね、考えるの。もし、ショウゴの部屋を出なかったら、花火に行かなかったら、塾でバイトしなかったら……東京に来なかったら……私達の二十年は、いったいなんだったの? ねえ、ケイタ、私達は何をしていたの? 

 夫はドアに手をかけたまま俯いていて、私はソファに座ったままテレビの画面の光を受けていて、お互いに、外を向いている。こんなに近くにいるのに、私達は、私達の顔も見ない。
でもね、ケイタ、顔、見たかったの。だって、あなたはとってもイケメンだから。地味な田舎臭い私はね、あなたの顔を見るのが恥ずかしかったの。
でももう最後なら、思い切って、あなたの顔を見に行くね。

「ケイタ、こっち向いて」
振り返った夫は、十五年前のように泣いていた。私は夫の前で初めて泣いた。
そして、ずっといえなかったこの単語を言った。
「ごめんなさい」
ああ、ケイタに抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう。こんなに、ケイタって、あったかかったんだ……
「やりなおそう、最初から」
最初から……そう、最初から……私達は、最初から終わってたのかもしれない。終わっていたのに、なぜか私達は一緒にいた。どうして? どうしてなの? そうね、きっとね……
「ケイタ、愛してる」

 こうして一緒のベッドに入るのも、何年ぶりだろう。
ねえ、ケイタ、私ね、今本当に幸せ。強がりでも、見栄でも、嫌味でもなく、私は『ケイタ』に抱かれて、本当に幸せなの。あなたのお金じゃなくて、あなたが好き。あなたは? 私の見た目じゃなくて、私が好き? 
「初めて『マスミ』を抱いたよ」
そう。そうよね。私達は初めて一緒になれた。
もう二十年前には戻れない。ううん、戻らなくていい。東京に来て、塾でバイトして、花火に行って、ショウゴの部屋を出た。それでよかったの。だってこうしてあなたと一緒になれたから。
 時間は午前三時。あと三時間で目覚ましのアラームが鳴る。スマホの音楽を止めて、六回目のスヌーズが鳴りだしたら、あなたに言うわ。何年ぶりかわからないけど。
……『おはよう』って。
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