にじいろオフィスの仕事術
……しかし、思った衝撃はいつまで経ってもこず、代わりに橋爪のひんやりした指が頬に触れた。
驚いて顔をあげる。
彼はとても気まずそうに希美を見下ろしていた。
なんですか、と口を開こうとする前に橋爪が口を開く。
「悪い、泣かせた」
「え……?」
言われて初めて自分の頬が濡れているのに気づく。
伝った涙は口元まで届き、唇を潤す。
「……すみません、泣くつもりじゃ」
「うん、わかってる。でもごめん」
橋爪の言葉に先ほどまでの勢いはなく、手ではぬぐいきれない涙に困惑しながらデスクにあるティッシュを数枚とって希美に寄越した。
いつも強気で角が本当に生えてるんじゃないかと疑ってならなかった鬼が、しょんぼりとしていた。
胸がドキドキしてるのは気のせいだ、少し……そう、動揺しているだけ!
希美の乙女心の機微には気づかず、橋爪はデスクに腰かけて天井を仰いだ。
「宮下、『ひじたのう』って言葉知ってるか?」
「ひじ……なんですか?」
「あーいいや、ちょっとあのノート貸せ」
希美が空いてる手で赤いメモ帳を手渡すと、表紙を開く。
1ページ目の『書類は縦置き』の言葉を見て少し微笑んでから2ページ目を開く。
その笑顔に見とれている間に、橋爪は大きく『鄙事多能』と書いて希美に見せた。
これで、『ひじたのう』と言うらしい。
「元は孔子の言葉なんだけど。俺の座右の銘」
「ふぅん……?」
橋爪から返された手帳を見つめる。
端正な顔立ちの割に大胆に書かれたその熟語は、希美の知らない言葉だった。