脳電波の愛され人
僕たちは林のなかの暗い道を進んだ。
ときどきざわつく風は、僕には影響がないのだが、誤って消してしまった千草の服の隙間に入り込み、千草の体温を奪っていった。
「それにしても、寒いのう。」
へくしっ、と千草がくしゃみをした。
僕は千草に何かしてあげられないかと考えたが、特に思いつかなかった。
さらに大きな罪悪感が僕を押さえ込む。
「ここらへんでいいじゃろうか。」
林のちょうど広場みたいになっているところだった。
千草が急に止まったから、僕は鼻をぶつけてしまった。
いや、ぶつけるといっても、ポスッというくらいで終わる、軽いものだ。
痛いとかそういう感触でなく、鼻先で触れたというような感触だ。
恐らく、痛いと感じなかったのは、痛いと感じさせる物質が消えてしまったからだろう。
予想通り、千草の服のぶつけてしまった背中の部分が消え、僕は弁償代はいくらぐらいだろうと考えてしまった。
今度こそ千草に怒られると、僕は罰をうける体勢にはいった。
しかし、千草はとても優しかった。
「すまん、すまん。われが急にとまってしまったばかりに。」
千草は笑った。千草は少しも僕をせめないのだ。
僕はおどおどした。びっくりした。
そんな僕をなだめるように、「大丈夫じゃから。」と千草は頭を撫でてくれた。
こんな優しい姉を持てる義人が少しうらやましく感じたが、これも運なのだろう。
千草は手を動かすのをやめ、少し歩いたあと、細い、奥の見えない道を指差した。
「いいか、四十秒数えたら、この道をまっすぐすすむのじゃ。わかったか?」
僕はうなずいた。
それを見届けると、千草は先にどこかへと行ってしまった。

「39、40っと。」
僕は四十秒数え終わった。
いつも風呂の中で数えているから、早さとかには自信があった。
しかし、いくら正確に数えても、数え終わってからもたついていては、意味がない。
僕はさっき教えられた道を進んだ。
細い道は、少し、おにーちゃんのいた公園の道に似ていた。
草木がたくさん生えていることもそうだ。
ガサガサッと、草がゆれた。
僕は一瞬おどろいたが、しばらくたっても何もなかったので、気になって草をかき分けた。
そこには、一匹の猫がいた。
おとなしそうな白い猫で、僕が手をさしのべても逃げなかった。
「にゃー。」
僕は猫の鳴き真似をしてみた。
はじめは冗談のつもりだったが、それに答えるように、「にゃおん。」と、猫が鳴いた。
「にゃーにゃー。」
僕は驚きつつも、まるで会話のように、また声を発した。
「にゃー。」
猫もそれに答えるように鳴いた。
何か嬉しかった。
言葉はわからないけど、意気投合した気分だ。
実は、猫ってとても賢い?
人間を嘲笑っているだけで、実は会社とかも作れちゃう?
人差し指と人差し指を正面で合わせたりできる?
僕はそんな冗談を考えながら、猫を撫でた。
わりと毛はさらさらしていて、ゴミがあまりついていなかった。
まるで千秋や夏姫や真冬の髪の毛みたいだ。
……今の僕は、ちょっと変態くさいかな。
「にゃー。」
木の上から、声が聞こえた。
もしかして、もう一匹猫がいるのだろうか。
僕は少し嬉しくなりつつ、木の上の方に目をむけた。
「にゃー。にゃー。」
そこにいたのは、人だった。
とても綺麗な銀髪の女の子だった。髪はペンペンに跳ねていて、長さは、ところところで違いバラバラだった。
服はゴスロリみたいなものを着ていて、首には猫の首輪みたいなチョーカーをつけていた。
猫がその声に返事をしているところを見ると、ただ単に、声に反応していただけのようだ。
僕は少し悲しくなった。
しかし、猫を撫でる手は止めなかった。
「にゃーにゃー。」
猫は、僕の手から離れた。
猫は木の根本までいくと、まるで爪研ぎをするかのように、木を爪でがりがりと引っ掻いた。
「にゃーにゃー。」
銀髪の子は、猫に手をふった。
とても嬉しそうな、明るい表情だった。
目の色が、よくよく見ると千秋たちと同じで、僕は、千秋たちの親族だろうと確信した。
その子は木をゆっくりと降り始めた。
枝から枝へと乗り移り、見ている僕が多分本人よりもドキドキしているだろうというくらい、とても危なっかしかった。
目を手でおおいつつ、指の隙間から覗いたり、覗かなかったりしながら、その子の様子を見ていた。
ときどきびゅうっと風が吹き、小枝が揺れるたびに、僕は思わず両手を目から離し、身構えてしまった。
どうすることも、僕なんかにできやしないのに。
「にゃー。」
猫が心配そうに鳴いた。
爪研ぎはやめ、今は心配そうに、周りをうろうろしている。
僕も心配していますという雰囲気を出しながら、周りをうろうろた。

「にゃっ、にゃっ。」
最後の一声で、その子はストンと地面に足をつけた。
僕は安心して、胸を撫で下ろした。
「よかったね。猫。」
「にゃー。」
僕は猫を撫でた。
猫は僕の手に体をすりつけた後、その子の方に行ってしまった。
その子が飼い主なのか、ただ単にその子が好きなだけなのか。
その子は猫をだきかかえると、とても明るい笑顔を見せた。
今までを見る限り、その子はずっと笑っていた。
しかし、夏姫のような不適みたいな笑いではなく、みんなを笑顔にするような、楽しそうな笑いだった。
「君は、はるか?」
僕は訊いた。
ちょうどその子がくらい林の中に消えそうなときだった。
「にゃー。」
その子は首を縦にふった。
そして、僕に手をふると、林の中に消えていった。
いったいあの子……春歌はなぜここにいたのだろう。
そういったら僕もそうなるのだろうけど、気になった。
あんな所で、一人で木登りをして、何が楽しかったのだろうか。

僕は寄り道をしたことを、少し後悔した。
辺りはさらに暗くなり、今まで明かりにしていた月は、もう沈んでしまった。
暗いのが怖いとか、そういう訳ではない。
ただ、道に迷ったのだ。
一本道に迷うというのも可笑しな話なのだが、正確に言えば、どっちに向かえばいいのか、わからなくなってしまったのだ。
「どちらにしようかな。」
僕は適当に決めた。
こういうときは、直感力が一番いいと思ったのだ。
……この決め方は、直感力ではない気がするけど。
指が右を向いたので、僕は右に進んだ。しかし、こっちはハズレだった。
もとの広場みたいなところに戻ってしまったのだ。
でも、これで選択肢がひとつになった。

僕は進もうと足を踏み出した。
ところが、それは水の泡になってしまった。
「おーい、黒ー!」
向こうから、声がする。義人の声だ。
目を凝らして見てみると、人の形のものが三つ……いや、四つあった。
義人と千草と千秋、それと金髪の女の子が、サイドテールを揺らしながら、走ってきている。
金髪の子は背はとても小さく、着物を着ている。薄い桃色の、袴の種類のものだ。
「どれだけ待ったと思っておるのじゃ!心配かけよって!」
義人はたどりつく早々に、顔を近づけ怒鳴りつけた。
「そんな怒鳴りつけなくとも、こやつは多分わかっとるよ。」
千草は耳を塞ぎつつ呟いた。
「しかし、千草の着物を破いたんじゃから、たとえこいつでも、ビシッと言ってやらんと!」
義人は戸惑いの気持ちが少し入りつつも、ビシッと言った。
「ごめん。」
僕は素直に謝った。
それが一番だと思った。
実際そうだったらしく、義人は僕を許してくれた。
「着物の弁償、どうしたらいい?」
僕は罪悪感を押さえきれずに、つい言ってしまった。
せっかく許してもらえたのに、それは無意味だったわけだ。
千草も、はじめは「弁償なんて、しなくともいいぞ。」と言っていたのだが、僕があまりにもしつこく言うので、ついに、心をへし折った。
「じゃあ、われの着物を作っとくれ。丈はだいたいおぬしと同じじゃから。」
僕は喜んで引き受けた。
散々迷惑かけた末に、なにもしないで終わるというのは僕的に嫌だったのだ。
しかし、僕は思った。
もしかして、さらに迷惑をかけていないかと。
考える分、迷惑をかけているのじゃないかと。
しかし、今断るのも迷惑になる。
僕はこの考えを奥にしまった。
「もうこんな時間じゃし、帰るぞ。」
義人の言葉で、僕たちは寮の方へ向かった。

寮のカウンターでチェックをすると、僕たちは部屋に入った。
金髪の子はいつの間にかいなくなり、部屋は四人になってしまった。
僕は畳の上にペタリと座りこんだ。
「明日、着物の生地も見ないとのう。」
部分が消えた着物から着替えながら、千草がケラケラと笑った。
冗談だと思っているのだろうか。
しかし、僕は、作る気満々だ。
着物は昔、作ったことがある。
僕の年は着物を作らせてもらえなかったのだが、妹が作り方を教えてもらえた年で、妹が教わったものを僕に教えてもらったのだ。
だから、実をいうと、僕は女物の着物の作り方しか知らない。
しかし、今回は問題ないだろう。
「せっかく黒をおどかそうと待っておったのに、黒は何をしておったのじゃ!危うく門限を過ぎるところじゃったぞ!」
義人が僕に怒鳴り付けた。
僕は素直に謝った。言い訳なんてめんどうくさかった。
義人は「いや、別にいいのじゃが……。」と許してくれた。
「黒さんったらちっとも来ないから、どうしようかと思いましたよ。」
千秋はクスクスと笑った。
そもそもおどかすって何をしようとしていたのだろう。
しかし、教える気がないのか、またいつか試そうとしているのか、三人とも黙ったままだった。
僕はパタンッと横に倒れた。
腕が地面と胴体に挟まれて血液が止まるかと思ったが、僕の血流はもう停止したままのことを思い出した。
僕はしばらくぼーっとしていた。
向こうから話し声が聞こえる。
どうやら千草と千秋らしい。
千秋のかん高い声が響いたが、すぐにおさまった。
内容を聞き取ろうと頑張ってみたが、あまり聞き取れなかった。
僕は諦めてその場に死体のように手足を放り出した。
地面から何かが歩いてくる音がする。
それは、僕の背後で止まった。
しかし、気にせずに、僕はゆっくりと体を起こした。
移動すると、壁の隅っこに背をつけ、ズズズッとずり落ちながら膝を抱えて座った。
「黒さん、少しいいですか?」
さっきまで背後にいた千秋が話しかける。
僕がうなずくと千秋は僕の目をじっと見た。
そして、そのまま数秒がたった。
僕が何をしているのか訊ねようとしたとき、千秋が大きなため息をついた。
「終わりです!」
千秋はニコッと笑った。
僕は首を傾けた。
何をされたかさっぱりわからないのだ。
「私がなぜ脳電波をかけたのか……いや、正式にいえば奪い取ったのか知りたいですよね。教えてあげます。」
僕の知りたいことがこれでわかったが、今度はどうして奪い取れるのかが知りたくなってきた。
そこで僕は訊ねた。
もちろん「わからない」だったけど。
自分でかけた脳電波は、自分で奪い取れるらしい。
その質問が終わった後、千秋は長い話を話し始めた。
「私のせいで千草さんの着物の一部が消えてしまったでしょう?それで千草さんが私に、黒さんにかけた脳電波をなくしなさいって言われたのです。
でもそれではあなたは鋭い刺激を感じてしまうじゃないですか。
それで、私は思いついたのです。
少しあなたから奪い取ると、多少鋭い刺激は感じますが、とても鋭い刺激は触れる前に消去してしまう……つまり鋭い刺激は感じないということになるのではないでしょうかと。
……ということで、少し皮肉ですが、今から実験をします。」
話し終えるなり、千秋は僕の頬をはたいた。
パンッと鋭い音がなり、僕はいつの間にか目を閉じていた。
痛みが僕の頬を襲ったかと思うと、それはだんだんじわじわと和らいでいく。
「痛いですか?」
千秋が僕の前にしゃがみこんだ。
僕はうなずいた。
千秋は喜びながらぴょんっと跳ねるように立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
僕ははたかれた左頬を手でさすった。
じんじんとまだ痛むが、なぜかそれが嬉しかった。
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