裏腹王子は目覚めのキスを
周囲の声が大きくても、健太郎くんは自分の音量を上げようとはしない。
かき消されそうな静かな声にわたしが身を乗り出すと、健太郎くんは滑らかにしゃべりはじめた。
「入籍に向けて、いろいろ準備しないと。そうそう、旅行中にゆっくり話そうと思ってるけど、結婚したら羽華子は家庭に入ってくれるね」
その言葉に、わたしはぽかんとする。
「え……?」
「あと羽華子には経済感覚がないから、お金の管理は僕がする。羽華子には必要なときに小遣いを渡すからそれでやりくりして。節約は得意でしょ」
「えっと……?」
「全部僕に任せてくれて構わないから。羽華子は家のことだけやってよ。そのほうが楽でしょ?」
急に結婚に向けての具体的な話を持ち出されて、わたしはとっさに何も言えなかった。
健太郎くんがわたしに対して家庭に入ってほしいと思っていたなんて、初耳だ。
「ちょ、ちょっと待って」
「うん、詳しいことはまた旅行のときにゆっくり話そう」
そう言うと、彼は伝票を持って立ち上がった。
折半で会計を済ませ、蒸し暑さの消えた夜空の下へ出る。
長引いた残暑も10月に入ってようやく日本列島から去りつつある。
地下鉄の入り口をくぐって、それぞれの路線に別れる前に、わたしは彼を呼び止めた。
「ねえ、健太郎くん」