スカーレット

「答えろよ」

トンと壁に手を突いた佐伯の顔が、鼻先数センチまで迫ってくる。

ちょっとその気になればキスさえできてしまいそうな距離に、自分でも不思議なくらい戸惑っている。

(ムカつく)

こんな風に閉じ込められたら、男性より非力な女性は抵抗できないではないか。

ともすれば、全女子憧れのシチュエーションなのに、胸を占めるのは恋のときめきではなく怒り。

恋する男女ならともかくただの同僚の佐伯に自由を奪われたことに対して無性に腹が立ってきた。

大事なのは相手が誰かということだと、この時初めて学んだ。

ふうっと息を吐いて佐伯に告げる。

「元カレ」

先ほどまで廊下で話をしていたのは1年前まで付き合っていた男性で、たまたま取引先であるうちの会社に営業に来たところ、まさかの再会を果たすというありがたくない奇跡が起こった。

こういう奇跡なんて望んでいませんと、信じてもいない神に悪態をつきたくなる。

互いの近況を軽く報告しあって、聞きたくもない謝罪なんかももらっちゃったりして。

気まずい沈黙が流れない内に、会社に戻るという彼を見送って、淡い恋の思い出に浸っていたところを佐伯に捕獲された。

誰かに目撃されていたとは夢にも思わなかった私はいとも簡単に捕まってしまい、今に至る。

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