焼けぼっくいに火をつけて
どれくらい、ぼんやりと過ごしただろう。様子がおかしいわたしのことを、麻巳子が心配してくれたけど、まだ言えそうにない。

授業中に目が合うと逸らされていたのが、そのうち先生はわたしの方を見ようともしなくなった。先生の態度に沈んだ気持ちはなくなり、だんだんとイライラが募り出した。わたしのピリピリが伝わるのだろう、麻巳子はもう何も聞かない。


先生とやりとりしなくなって2週間。

放課後、部活前の準備運動のため、わたしは学校の周囲を走っていた。合唱部だけど、声を出すには基礎体力が必要って顧問のポリシーで、練習前に学校を2周するのが義務づけられてる。同じような理由で、吹奏楽部も走っている。元々運動が得意じゃないわたしは、どんどん他の部員から置いて行かれる。これでも去年よりは早くなった方だけど。

「?」

ようやく1周目が終わって、2周目に入ってしばらくすると、後ろから誰かが近づく音がした。運動部も走ってるから、誰が来てもおかしくはない。けど、地面を蹴る音とは別に、何か違う音が混ざっている。

何だろう?

音はもうわたしのすぐそばまで来ている。目に入ったのは、剣道の道着。

(暑いのに、道着なんだ)

追い抜かれる時にチラッと道着の主を見たら、同じように向こうもわたしを見ていて目があった。

「あっ……」

剣道着の主は、今年も同じクラスの北見くんだった。背が高いイケメンで、成績がよくてスポーツもできる北見くんは、一部の女子には人気があったけど、わたしは無口で、冷めたような目をしている彼のことが苦手だ。あまりにも優秀で、2年に進級する時に学校側から特進コースに移らないかと異例な誘いを、剣道を続けたいからと断った、ちょっと変わり者のところが、苦手意識に拍車をかけていた。

その北見くんは追い抜きざま、わたしに向けた視線はそのまま目を細め、スッと口角を上げた。

笑った?

確かめる間もなく、北見くんの後ろ姿は遠ざかって行った。

今の笑いは何?わたしのトロさに笑ったの?でもバカにしたような感じはなかった。

気のせいかも。1年から同じクラスでも、北見くんとはほとんど話したことがないから、微笑まれるような仲じゃない。最近はメンタルが不安定だから、普段見ないものが見えちゃってるんだ。そうに違いない。今はあと1周、ランニングを終わらせることに集中しよう。邪念を振り払って、ゴールの校門を目指した。

気合いを入れ直したものの、暑さでだんだん脚が重くなって来た。おまけに、明日は土曜日だからと、不精して制服のまま走ったから、スカートが脚に纏わり付いて、思うように動けない。ようやく残り3分の1というところで、また後ろから足音と衣擦れの音が迫って来た。

きっと、また北見くんだ。袴なのに早く走れるって、一体どんな運動神経なんだ。

邪魔にならないように横に避ける。そしてまた、追い抜きざまにわたしを見下ろして・・・わたしに向かって口を動かした。

「えっ!?」

思わず足が止め、北見くんの背中を見つめた。

『がんばれ』

声は出さなかったけど、北見くんの唇は、間違いなくそう動いていた。

「北見くん・・・?」

混乱してる。普段と違う北見くんを見て、すごく混乱してる。今の出来事を振り払うように頭を振って、残りの道を走った。


「あんたって、ホントにおバカよね」

汗と埃で気持ち悪くなった制服から、体操服に着替えて部活に参加した帰り道。麻巳子に盛大なため息をつかれた。部活でも散々いじられたけど。

「普通は走る前に体操服にするでしょ。何で後から着替えるかなぁ」

「もういいでしょ。後は帰るだけなんだから」

今日は自転車で来てて良かった。さすがにこの格好で、電車に乗るのは恥ずかしい。電車で帰る麻巳子と、駅まで歩いてるけど。

「真面目な話、ホントに最近の愛理はおかしいよ」

「う〜っ」

「落ち込んでるかと思ったら、開き直ったみたいにヘラヘラしたり。かと思えば、何かイライラしてるし・・・・・・」

「そう、かな?」

麻巳子の疑わしそうな視線を避けた時、フッと風の動きが変わった。

「おつかれ」

「お、おつかれ」

わたしたちの横を駆け抜けた自転車から声がかかり、つられて挨拶を返したけど・・・。

「あれ?今のって北見くんじゃない?」

「そうみたい」

「愛理こと見てたよね。愛理と北見くんって、仲良かったっけ?」

「さぁ・・・」

「さぁって。でも、しかし・・・なるほどね」

麻巳子は顎に手を当てて、何やらブツブツ言い出すし。今日はやたら北見くんが絡んでくるし。今みたいに会話が途切れたら、頭の中は当たり前みたいに奥村先生に占領されるし。

疲れた。本当に疲れた。

駅で麻巳子と別れ、全力でペダルを漕いで帰宅した。
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