焼けぼっくいに火をつけて
今までランニング中に会ったことなんてなかったのに、あの日以来必ず北見くんがわたしを追い抜いて行く。それだけじゃなく、教室でも北見くんが視界に入ることが多くなっていた。北見くんが意図的に入って来てるのか、わたしが目で追ってるのかは分からないけど。言えることは、心の隙間に入り込んで来た。まさにそんな感じだった。



ジージージージー

7月。梅雨明けして、夏を待っていたかのように、今年もセミが鳴き出した。来週から期末テストで、部活も休止になっている。放課後、みんなサッサと帰ってしまった。麻巳子まで帰ってしまい、日直のわたしは、ひとりで日誌を書いていた。

トントン

開け放していたドアから、誰か入って来た足音に顔を上げて、ドクンと胸が鳴った。

水で濡らした雑巾を持った北見くんが、ホワイトボードを丁寧に拭き上げている。

北見と北山だから、北見くんとは一緒に日直をすることが多い。今日も一緒だった。

「日誌、書けた?」

「あ、あと少し」

「そう」

雑巾を洗って戻って来た北見くんは、カーテンをタッセルにまとめて、戸締りの確認している。

「あの、終わった。ゴメンね、戸締り手伝えなくて」

「いいよ、これくらい。北山さんに日誌を書いて貰ったし。一緒に日直してるんだから、手分けした方が早く終わるだろ?」

「そう、だね。ありがとう」

お礼を言うと、ニコリと微笑まれた。

身体中から妙に生温かい汗が滲み出てくる。と同時に、心臓の奥の方を掴まれたように痛くなる。

(何、この感じ?)

北見くんが、ペンケースをバッグに仕舞うわたしの手を見ている。心臓が早鐘を打ち出し、指先に火が灯ったみたいに熱くなる。

(落ち着け、落ち着け。北見くんは普通のことしか言ってないよ。何ドキドキしてるの!)

落ち着かせようと思うほど、余計に焦ってしまう。

「お、お待たせ」

「じゃあ行こうか」

カチリ

教室を出て鍵を閉める。北見くんの手に教室の鍵、わたしの手に日誌。それぞれを持って職員室で担任に手渡す・・・・・・と。

「あれ?職員室に行かないの?」

職員室はわたしたちの教室と同じ2階なのに、北見くんは3階に向かおうとしている。

「試験前は、職員室に入室禁止だろ。数学準備室に持って行くように言われてるんだ」

そうだった。期末テスト前だから、数学準備室。

数学準備室・・・・・・行きたくない。と駄々をこねる訳にはいかず、わたしは北見くんと数学準備室に向かった。


「おー、おつかれー」

数学準備室で担任、奥村先生に鍵と日誌を渡す。先生が日記の内容を確認し終わるのを、北見くんと並んで待つ。真剣な目で日誌に目を通している。ボールペンの頭を当てた唇から、目が離せなくなる。

数か月前、ここで先生とキスしたんだ。あの時押し込まれたチョコレートの味まで、口の中に蘇ってきて・・・・・・って、何考えてるんだ!

「北山さん、どうかした?」

「あ、いや、何でもない」

挙動不審過ぎる。北見くんの顔は、はてなマークがいっぱいになってるし。先生は横目で見ただけで、すぐに日誌に目を戻した。

「よーし、おつかれ。気をつけて帰れよ」

「はい、失礼します」

「し、失礼します」

ボーッとしてる間に、日誌はOKが出たみたいだ。慌てて頭をさげると、数学準備室の出入り口に向かった。

やっと解放される、北見くんからも、先生からも。と思っていたのに。

「北山さん、この後何か用はある?」

「家に帰って、テスト勉強するだけだけど」

「良かったら一緒に帰らない?」

「へっ?」

突然の北見くんの言葉に、素っ頓狂な声しか出せなかった。

「ダメかな?」

懇願するような北見くんの顔を凝視する。背中に先生の視線を感じる。

北見くんは、わたしの心の隙間に入り込もうとしている。わたしと先生の間にある隙間に。

「うん、いいよ」

わたしは自分の手で、北見くんを心の隙間に引き込んだ。
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