忘れられない [壁ドン企画]
復讐
電話を切ってさほど待たず、控え室の扉をノックする音がした。
「はい」
「…俺だけど」
結衣は男の声を聞くと控え室の扉を自ら開け
「慎ちゃん。今部屋には私しかいないの。入って?」
室内に招き入れると共にこっそりと扉に鍵をかけた。

結衣が室内に招き入れた人物は、結衣の幼馴染みの桜井慎司だ。
結衣と一つ年上の慎司は自宅が隣同士の産まれた時からの幼馴染みで、結衣は慎司の事がずっと好きでたまらなかった。

慎司と気持ちが通じ合って結ばれた時結衣は本当に幸せだった。このまま、幼馴染みのように、恋人のようにふたりで寄り添って生きていけたらと他には何もいらないと思った。
…でも、2人が長く続く事はなかった。お互いに長い間あまりに近くにいすぎた為に、相手の事がわかりすぎてしまったのだ。嘘も、気持ちの在り方も全て言葉に出すことがなくてもお互いにわかってしまう…。

やがて、それはふたりを隔てる壁を作り始めた。
一緒にいるためにあえてあけた距離が、ふたりの距離を狂わせた。
気がついた時には、慎司と結衣はもう元には戻れなくなっていた。

好きで好きでたまらない人とつきあえる幸せと引き換えに、結衣は幼馴染みとしての慎司を失った。

慎司と別れた後、結衣は抜け殻のようになった。恋人としての慎司すらも失ったのだから。お互いに嫌いで別れた訳ではない。一緒にいられなくなってしまっただけなのだ。…行き場のない慎司への想いが長い間結衣を苦しめた。

そんな結衣に手を静かに差し伸べてくれたのが宗一郎だった。宗一郎の優しさに結衣はどれだけ救われた事か…。その宗一郎と結衣は今日結婚する。

「…どうして俺を招待した?」
慎司が結衣に問いかけた。
「ねえ慎ちゃん、今の私をみて。きれい?」
結衣は慎司の質問には答えず慎司に聞いた。
「これまでの中で一番…」
慎司がそこまで口にした瞬間結衣は慎司の事を力強く壁に押さえつけて、そして慎司の首に手を回して慎司に激しいキスをした。
「…結衣…」
慎司が結衣を見つめている。
結衣は再びキスをした。
「慎ちゃんは私を一生忘れられなくなるわ」
「…俺は忘れるよ」
「いいえ。慎ちゃんは私を忘れられない。そのための最後の仕上げを今しているのだもの」
結衣は意地悪く微笑んだ。
「慎ちゃんとウエディングドレスでキスをした女は私が初めて。いつか慎ちゃんが…私ではない他の誰かと結婚するとき、慎ちゃんはその相手のドレス姿を見ながら必ず今日の私を想い出すわ」
「それが望みか?」
「私たちはもうあの無邪気な幼馴染みにも戻れない」
「…そうだな」
「私は本当に慎ちゃんの事が好きで大切だった。たぶんこれからもそれは変わらない。だから、あなたが欠片でも私の事を忘れる事は許さない」
慎司が結衣の瞳を真っ直ぐに見つめている。その瞳の中に移る自分の姿を結衣は見つめて
「あなたは見た目とは違って不器用でとても真面目な人…だから今ここでこうしている事も、私とキスをした事も忘れる事なんてできない。そして、宗一郎さんをこれから見かける度にこれからずっと罪悪感に苛まれる。…そして宗一郎さんへの罪悪感と一緒に私の事も思い出すのよ」
慎司が「ああ…結衣の言う通りだろう」とつぶやいた。
結衣はこれ以上なく美しく微笑んで慎司を見つめた。そして、慎司と抱きしめあった。

そうして、どの位の時間がたったのだろう。長いような短かいような不思議な時間がふたりの間に流れた。確かな事はこれがふたりには最後の時間になるということだ。

結衣は、そういえば…と、慎司の胸の中に顔を埋めながら慎司がこの部屋に来た時に結衣に問いかけた質問に答えた。
「私の事をずっと忘れさせないようにとどめを刺すこと。それが慎ちゃんを式に呼んだ目的よ」


< 4 / 5 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop