碧い人魚の海
 浅瀬まで泳いで砂浜から迂回して、ルビーは島に上陸した。
 ルビーは陸の上では人間の少女に姿を変えられる。ルビーの変身は完璧だ。なにしろ初めて陸に上がった12歳のときから4年間も、こっそり練習してきているのだから。綺麗なうろこに覆われた鮮やかな赤い尻尾はすんなりとした白い両脚に変わり、つま先には人間の爪と同じ桜色の小さな爪が綺麗に並ぶ。
 海藻で編んだ袋から小さな靴を取りだして履く。服は以前どこかの島で干してあった白いチュニックを無断で貸してもらった。
 盗んだともいう。

 南の島で、お天気もよかったので、服はすぐに乾いた。着ている白いチュニックが風をはらんではたはたとはためく。空が青い。暖かい湿った海風が気持ちいい。ルビーの長いきららかな赤毛も風を受けてなびいた。髪の毛が乾いたころを見計らって、袋からひもを出してきて後ろで一つに縛る。

 たわわに実った山ぶどうで腹ごしらえをしてから、黒曜石のナイフで大きなつる草を切って三つのつるをより合わせて丈夫な縄を編む。
 崖の上で大岩か大きな木を探してこの縄を結わえつけ、それを命綱にして、花の咲いている場所まで降りていくつもりだった。

 不意に海風がやみ、山の上からザアアアッと風が吹き下りてきた。風向きが変わる瞬間。
 山おろしの風はひんやりとして乾いている。草の波がざわざわと、生き物のように揺れる。まるでルビーを誘っているみたいに。花の咲いている崖の中腹もいいけど、草の波を掻き分けて、丘の高いところに向けて登っていってみたくなる。

「何をしているの?」
 すぐ後ろから、突然声をかけられて、ルビーは飛び上がった。
 直前まで、人の気配なんか感じなかった。
 なのに振り向くと、一人の少女がルビーの編みかけの縄を、興味深げに覗き込んでいた。
「なあに? 縄を編んでいるの? 塔に忍び込むつもり? どうやって塔の上に縄をひっかけるの?」
「塔?」
 少女の言葉の意味がわからなくて、ルビーは聞き返した。
「あら、違ったの?」
 少女はゆっくりとした仕草で首を傾げた。明るい夏の光のなかで、闇のような漆黒の髪がふわりと風になびいた。瞳の色も黒曜石のような黒。
 大きな瞳に吸い込まれそうだ。一瞬ルビーはそう思う。
 ルビーはちょっと怒ったような声で返した。
「むっ、無人島だと思ってた。ここ」
「無人島よ」
 少女は笑った。
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