碧い人魚の海
 ルビーには主人などいないので、やはり黙っていた。
「口が利けないのか? それとも言葉がわからないか?」
 返事をしないルビーを、話すことができないのだと思ってしまったらしく、彼は傍らに控えているもう一人の痩せた年配の男に向かって言った。
「船に連れていって、閉じ込めておけ」
 男は無言で頷いた。痩せた男の方は、ほかの者とよく似た雰囲気の黒い服を着ている。

「塔まで同行させた方がよくはありませんか?」
 太った方の男が、そう口をはさんだ。
「緑樹さまとの取り引きに有利に使えるかもしれません」
「塔は壊す」
 若い男はそう答えた。
「取り引きは不要だ」
「閣下、どうか塔を壊すのはお控えください。海に嵐を呼ぶものが棲むと言われておりますゆえ」
「そのために術師グレイハートを連れて来たのだ。塔に封じてあるものは、グレイハートが島より持ち帰り封じ直すだろう」

 その言葉を受けて、傍らにいた3番目の男が軽く頭を下げた。ボタンのない黒ずくめの服を着て、頭と顔も黒い布で覆った小柄な男だった。顔が全然見えないから歳はわからない。
 太った男は背の高い男を閣下と呼んでいた。閣下の意味をルビーは正確には知らなかったが、長老とか村長とか、長の字のつく者と似たような意味だろう。つまり彼が人々の列を山に向かわせているのだ。

 ルビーは少し考えた。
 船に連れて行かれてしまえば、これから彼らが山に分け入って何をしようとしているのかを見届けることができない。つかまれた腕をふりほどいて背の高い草の波の間に走り込むことも考えたが、こうも人がわらわらといて、皆に追いかけられたらややこしい。
 “閣下”と彼を取り巻く数人を残して、他の人間の列はなおもどんどんと山に向かって進んでいっていた。ここはおとなしく連行されるふりをして、人の列の途切れたところで逃げ出そう。
 逃げ出して、海に戻る代わりにこの列の行く先を追いかけるのだ。
 “閣下”と太った男は、塔を壊すだのなんだのと、なんだかぶっそうな話をしていた。さっきの女の子も塔のことを口にしていた。塔に何があるんだろう。

 “閣下”に命ぜられた痩せぎすの男がルビーの腕をつかんで引っ張った。彼らは山へと向かう人の波に逆らって、浜辺に向かって歩いた。
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