壁に、おひさま
「でも現実には、イズミさんが辛かったり悲しかったりしても、なにもしてあげられない。慰めることも碌にできない」

 目の前の真一くんの眉根がすうっと寄っていく。
 彼のこんなに辛そうな顔は見た事がなかった。その原因に自分がなるなんて思いもしなかった。

「いつか……いつか、きっと。イズミさんがどこにいても何をしてても、守ってあげられるような」

 言葉はそこで消えた。
 あとは声にならず、唇だけが動く。

 ――おとなに、なりたい

 言わないセリフに、私の喉がこくりと鳴ってしまった。
 それを合図にしたように、しなやかな腕が下ろされていく。
 私は小さな囲いから解放されて、知らず深く息を吐いた。呼吸を止めてしまっていた。

 何を言ったらいいのか分からない、何と呼びかければいいのか分からない。

 視線を逸らして黙っていると、真一くんは「あっ、ちがう」と声をあげた。

「ちがう。もっと狭い範囲」

 ぐいっと、思いっきり体が近づく。
 真一くんは下から掬いあげるように腕を回すと、壁に両肘をついて私を閉じ込めた。

「ししし真一くんっ」
「これくらいの狭さでしか、守れない。ごめんね」

 近い近い近い、肘で囲うと近すぎる近すぎるっっ。

 ほとんど隙間のないところに無理やり手を差し込んで、なんとか押し返すと、耳にふふっと息がかかった。
 薄い唇の、口角がきゅっと上がる。

 うわっ、キスされる……!

「え」

 次の瞬間、すりっと何かが頬に当たった。

 ほんとに唇かと思ったけど、違う。もっと滑らかな……頬?
 真一くんは私の頬に、一瞬だけ自分の頬を寄せた。

 微かに、触れる。触れあう。

「……あったかい」

 それから彼は「頭、冷やしてくる」と囁くと、腕と体を退けた――美術室の扉が静かに開いて、閉じられる。

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