本当は怖い愛とロマンス
次の日の朝、自宅に迎えにきた中田の車の音で、俺は、目を覚ました。
頭を掻きながら、台所のコーヒーメーカーのスイッチを入れる。
すると、玄関のドアを開けて、いつもの調子で部屋に上がり込んで、中田が大声で、勝手に怒鳴り散らす。
「本木さん!昨日みたいな事、やめてくださいよ。仕事キャンセルして、女性の家に行ってたなんて週刊誌が嗅ぎつけたら、信用問題もガタ落ちですよ!」

「週刊誌の前に、お前のその大声が、近所迷惑なの。朝っぱらから、いつもうるさいんだよ。お前は!それに、俺に挨拶くらいしろって毎日言ってるだろう!」

俺は、うっとうしそうな顔で、マグカップにコーヒーを注ぐと、口に運んだ。

中田は、そんな俺の様子を見て、少し疲れたように、ため息をついた。

「はぁ…本木さんだって、もう、36歳なんですから、いつまでも遊んでないで、本気で好きになれる相手とかいないんですか…全く。」

その言葉に、コーヒーを運んでいた手が止まる。

最後に、誰かを本気で好きになったのは、思い出したくもない悲しい遠い記憶の中にある。

俺には、16年前、かけがえのない大切な恋人がいた。
ミュージシャンになる為に、成功したら必ず迎えに行くと約束をして、心配する彼女を説得して1人、田舎に残して、単身、東京に上京した。
離れていても、一週間に一度、お互いで約束した日だけは、彼女への電話を欠かした事はなかった。
四年後、24歳の時だった。長年の努力が実り、出入りしていたライブハウスで演奏していたところを今の事務所の現社長の谷垣に、スカウトされた。
その一週間後には、所属事務所も決まり、トントン拍子にデビューが決まった。
その話を谷垣からの電話で聞いたその日に、俺は、その月のバイト代で稼いだ残りの金を使い果たし、安い指輪を買って、田舎への片道切符を握りしめ、新幹線に飛び乗っていた。
二週間前に、会えない寂しさを募らせた彼女と些細な事で別れ話になる喧嘩をしてしまった。
しかし、俺は、仕事の忙しさにかまけて、いつもかかってくるはずの電話も出られず、変に男のプライドも邪魔して、彼女に自分から電話を掛けられずにいた。
だから、デビューの報告ついでに、会って驚かせてやろうと、あえて連絡もしなかった。

やっと迎えにいける。
彼女にあったら、プロポーズしよう。
そして、喧嘩の事も謝ろう。

行きの新幹線で変わる景色を見つめながら、彼女の驚く顔を思い浮かべると、自然に笑みさえも溢れて、プロポーズの台詞を考えたりもした。
そう、完璧に俺の心は、馬鹿みたいに浮かれていたんだ。
でも、四年振りにみた彼女は、小さな骨壺の中に収められて、その後ろには、俺がいつも見ていた彼女の写真が飾られている。
一週間前に、彼女は、俺と電話する時間は決まって、夜中の0時を過ぎていた事もあり、寝ている両親に気を遣って、いつもの家の近くの電話boxから電話をかけていたらしい。
真っ暗で、夜中には全くといって良いほど街灯もなく、人通りが少なかった道だった事もあり、車の運転手も眠気と仕事の疲れで注意散漫だったのかもしれないと警察が言っていたらしい。
だから、電話boxから出た後の1人で歩いている彼女に気がつかなかったのだろうか。
そして、そのまま、車は、彼女に向かって激突した。
しかし、車は、彼女を助ける事なく、その場にのこして、逃走し、目撃者も犯人の姿さえも手がかりがなく、未だに犯人は見つかっていないらしい。
その後、たまたま通りかかった人の電話で、救急車で病院に運ばれたが、間もなく息を引き取ったらしい。
その話を彼女の母親から泣きながら、途切れ途切れに聞かされた時、俺は、直ぐには現実を受け入れられずに、渚を殺した犯人への怒りや涙も出て来なかった。
だって、二週間前に、確かに元気な彼女の声を聞いていたからだ。
喧嘩しても、いつものように、俺が照れながら、ごめんと謝れば、しょーがないな。今回だけだよ。って彼女は不貞腐れながらも許してくれる。
そうだったはずだった。
方針状態の俺に、渚の母親は、そっと一枚の手紙を差し出した。
宛名は、「本木佳祐様」と俺の名前がしるされていた。
後ろを向けると、彼女の名前「原田渚」と書かれている。
それは、渚が死ぬ前に俺に出すはずだった手紙だった。
俺は、静かに、その手紙を開ける。

その手紙には、二週間前の喧嘩した俺に対しての謝罪の気持ちと最後に一言だけ。

「今までありがとう。」

その手紙を読み終えた時、初めて、声を上げて、泣いていた。

彼女の最後の言葉で、俺は、渚の気持ちの全てを悟った。

それは、偶然にも俺と別れを決意した言葉で、俺は、当たり前のように、明日がくると思っていた。
でも、渚は違っていたんだ。
彼女を本当の意味で、理解して、大切にしていなかったと、渚が死んだ事で気付かされたのだった。

俺は、そんな彼女に、死という形で、確かに、俺の心に彼女とは一生離れられない消えない深い爪痕を残していった。

その日からだった。
俺は、大切な人を失う恐さから、決して、本気で誰かを愛したり、好きになる事をしなくなった。
それと同時に、涙を流す事も忘れてしまった。
でも、どうしようもなく、寂しい時は、自分勝手だと解っていながらも、近づいてきた女を利用するようになった。
そして、本気ではない遊びの関係だと言うルールをゲーム感覚で、相手にも求めるようになった。
女が俺に対して、遊びではない本当の愛情を求めるようになると、目の前から決まって、姿を消した。
もう、そんな事が12年も続いていた。

俺は、静かにコーヒーが入ったマグカップをテーブルに置くと、中田は、思い出した様に、背広から、手紙の束を差し出した。
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