風が、吹いた
「椎名って、こないだ言ってた人のこと?それなら私全然知らないって言ったじゃん!どうして信じてくれないの?」
半ば怒りに近い感情を、浅尾にぶつける。
「倉本は、忘れてるだけだよ」
やけに冷めた口調で、彼は溜息を吐いた。
「違うよ!そんなことない!私は知らない、そんな人。ねぇ、やだよ。私、別れたくない…」
そう言って俯いて、唇を噛む。
「我慢するなよ」
窘(たしな)めるような言い方に、思わず顔を上げると、浅尾は、怒っているようにも困っているようにもとれる表情で私を見ていた。
「お前はいつも我慢しすぎなんだよ。欲しいものは欲しいと言え。」
浅尾は一体何を言っているんだろう。
眉間に皺が寄るのも仕方ないと思う。
その話が一体どうなって、こうなっているんだろう。
「…だから、別れたくないって」
「違うって。それは、今目の前にあるから、だろ。そうじゃない。もっと一番欲しいと思っているものだ。」
わからない。
全然、わからない。
「自信満々に忘れろって言った癖に、受け止めるっていったのに…ほんと、ざまぁねぇな。ごめん、倉本」
その言葉と一緒に、浅尾の腕が伸ばされたと思ったら、ぐっと抱き寄せられる。
首に巻いていたマフラーが、起こった風でふわりと舞って、地面に落ちた。