10回目のキスの仕方
 力の入らない足、歪み始めた視界、気だるい身体、そして腕から感じる恐怖のせいで頭が正常に動かない。それでも、その低い声は聞き覚えがあるような気がしていた。目の前にいた男の身体が大きく横にずれた。そして視界に飛び込んでくる、背の高い男の人。―――自分はこの人を知っている。ただ、この酔った頭で、正しい判断ができているのかが疑わしいけれど。

「強制わいせつ罪?法律、詳しくないから正しいのはわかんないけど。」
「っ…るせーよ!」

 美海に背を向けて、男は行ってしまった。美海はといえば、身体の震えが収まらない。

「…帰るよ。」
「え…?」
「ここにいたいの?」
「…いい、え…。」
「俺ももう帰りたい。帰ろう。鞄は?」
「あのテーブルに…。」
「取ってくるからここにいて。あ、上着は?」
「カウンターに…預け、ました。」
「番号札は鞄?」
「…手前の…小さい、ポケット、に。」
「わかった。とりあえず、カウンターのところに行って待ってて。」
「…は、い…。」

(…甘え、すぎてる、私…。)

 そんなことはわかっていた。それでも、なんだか甘えたい気分だった。

「はい、上着。」
「…ありがとう、ございます…。」

 身体がふらつく。そんな身体を支えたくて、壁に手をつきながら春物のコートを羽織った。

「家、どこ?」
「え…?」
「酔っぱらいをここに放置しておけない。送る。」
「でも…。」
「知らない男に家知られたくないとかなら、それはそれでいいけど。」
「そ、う…じゃなくてっ…迷惑…だなって…。」

 もう十分すぎるほど迷惑をかけている。身体が思うように動かないことを言い訳に甘え続けるわけにはいかない。

「…大丈夫です、私…一人で帰れ…っ!」

 ドアを開けて出た先の段差に躓いた。そして盛大に転んだ。膝を擦りむくなんてこと、久しぶりだ。痛みと恥ずかしさ、そしてショックが相まって、少しずつ視界が滲んできた。
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