vivre【1】

少女の依頼

「いらっしゃ…あら、おかえりなさい」

青年が宿屋の扉を開くと、宿帳のチェックをしていた少女が顔をあげた。
華やかな笑顔と、オイルランプの灯りに照らされた金髪、そして緋色の瞳。

「…その、おかえりとは?」

「ふふ、うちの宿に泊まってくれた方にはそう言ってるんです」

少女の名前は、ヴァレリー・ボードレール。宿屋の看板娘で、昼間は王立の魔術学校に通う傍ら、こうして両親の宿屋も手伝っている。

「えっと、ルーさん?でしたっけ。お食事はまだですか?そろそろ食堂も開けようかと思ってたんで、良かったらどうぞ」

ルーというのは勿論偽名なのだが、青年は頷いた。
ヴァレリーに伴われ食堂に足を踏み入れる。当然ながら、まだ青年の他に客はいない。
もう少し遅い時間になれば、宿泊客だけではなく、街の酒飲み達が立ち寄るだろう。

青年は手頃な席に座ると、パンと肉とスープを注文した。
ヴァレリーが笑顔で食堂を後にするのを見届けると、青年は何枚かの金貨をテーブルに置いた。

暫くすると、ヴァレリーではなく宿屋の女将が食事を運んでやってきた。
青年は用意してあった代金よりも少し多い金貨を女将に渡す。
チップなのだが、大抵の商売がわかっている人間はその意味するところを理解する。
余計な詮索も、自分を探る者への無用な情報提供もするな、ということだ。

女将はごゆっくり、とだけ言うと、さっさとその場を離れてしまった。

青年がレイダリアという国へやってきてから2週間。
この宿は女将も主人も余計なことを差し挟むこともなく、青年にとっては都合が良かった。
そもそも、レイダリアの首都である王都ガレイアは、歴史も古くスラムこそあれど戦争や紛争による孤児が少なく、また数少ない孤児などは能力さえあれば王立の騎士団や学院が引き取り、国に登用している。
そのスラムも、ほとんどが国外から流れてきたものが王都の目を掻い潜り不正に住んでいたり、ごく一部の性根の腐った貴族に飼われる悪党だったりするのだ。

騎士団が大々的に鎮圧に乗り出さないのは、その悪党と国外からの移住者の区別が尽きにくいことにある。
いくら不正に入国しているとはいえ、下手に弾圧すれば諸外国に戦争をする理由を与えてしまう事になりかねない。

当代の国王はそれに頭を悩ませ、やむ無くスラムの存在を黙認している形だ。
だからこそ、青年のような人間もこの王都ガレイアで生活することができるわけだが。

「ルーさん、お食事終わったんですか?」

ぽつらぽつらと客の入り始めた食堂から出ると、宿の入り口にあるカウンター越しにヴァレリーが声を掛けてきた。

「ああ」

「そうですか…」

何か言いたそうに俯くヴァレリーに、青年は気がつかないふりを決め込む。
元より住む世界が違う以上、無闇に関わるのはお互いのために避けるべきだ。

「あの!」

立ち去りかけた青年の背に、ヴァレリーの思い詰めた声が追いすがる。

「何か用か?」

「あの…。魔術学校からの課題がどうしてもクリア出来なくて。よければ、お手伝いしていただけたらと…。ルーさん、冒険者、ですよね?」

「魔術の事は街のギルドで魔術師にでも聞けばいいだろう」

青年のアドバイスはもっともなことなのだが、ヴァレリーは首を横に振る。

「違うんです、課題というのは実技で、ギルドで二人以上のパーティを組んで、ある依頼を達成しなくてはいけなくて」

「学校の友人と行ったらどうだ。もしくは、ギルドで誰か募集するとか」

「私は魔術師で、友人はヒーラーなんです。残りの前衛職の方をギルドで探してみたんですけど、私達のランクが低いからとお断りされてしまって」

青年は眉根を寄せた。ヴァレリーを助けるメリットは全くない。
だが、断ればまだ数週間この街に、というかこの宿に滞在する以上やりにくくなるのも事実だ。
暫し考えて、青年は溜め息をこぼした。

「…依頼、という形でなら協力してやってもいい」

「ホントですか?!」

瞳を輝かせるヴァレリーを遮るように、青年は右手をあげた。

「ただし、いくつか条件がある。それがお前もお前の友人も飲めないというなら、この話は無しだ。いいな」

「もちろんです!ありがとうございます!」

「じゃ、明日の夕方お前の友人とやらも連れて俺の部屋に来い、ビジネスの話はそれからだ」

言い捨てて踵を返す背に、ヴァレリーは何度も嬉しそうに手を振りながら礼を言っていた。
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