婚約者は突然に~政略結婚までにしたい5つのこと~
「待ってましたよ」

部屋の片隅に置かれたピアノの前に愛しい婚約者の姿があった。

私は仔犬のようにパタパタと駆け寄る。

「どうしてここにいるの?ゴルフはもう終わったの?」

「うん、今日は打ち上げに参加しないで帰って来た」

「今日お夕飯どうするの?私が作るから一緒に食べよう。何が食べたい?」

私は一気にテンションが上がって矢継ぎ早に話し掛ける。本当に仔犬だったら千切れんばかりに尻尾を振っているだろう。

「ストップ、遥」

匠さんは、人差し指を唇の前にスッと立てた。

「僕は今、婚約者である前に君のピアノの先生なんだよ?」

「ピアノの先生…?匠さんが?」匠さんはコックリと頷く。

「何それ、そうゆうプレイなの?」私が眉根を寄せて尋ねると、匠さんは吹き出した。

「遥、まだ僕たちはプレイとして楽しむような関係じゃないだろ?」

「あ、そっか」私がてへっと笑うと、やれやれ、といった様子で匠さんは肩を竦めた。

「確かバイエル迄は終わっているんだったよね?」

「た、多分…」

匠さんは私に青い冊子のような本を手渡す。

表紙には「ブルグミュラー25の練習曲」と書かれていた。

中を開くとオタマジャクシのような音符が並んでいる。

「これから遥が練習する楽譜だよ」

どうやら匠さんは本気で教えようとしているらしい。
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