強引男子にご用心!
「伊原さん」
振り向くと、封筒片手に綾瀬さんが出てくるところで、
「何か?」
「あの。伊原さん……て、もしかして伊原華子?」
「伊原華子ですけれど、会社では“さん”づけでお願いします」
きりっとして言うと、綾瀬さんは困ったように頭をかいて、それから近づいてきた。
「綾瀬晃司だけど、覚えている?」
「ええ。急ぎますので、歩きながらでもいいですか?」
「あ、はい。何て言うか、伊原さん変わったね……」
歩きながら、ある程度の距離を持って隣を歩いてくれる綾瀬さん。
変わったかな。
いや、色々とあの頃と比べると変わったね。
でも、
「根本的にはあまり変わりありませんよ。相変わらずです」
「そう……かな? 前はもっと、柔らかい雰囲気の人だったけど」
「こうしていれば、不用意に近づかれる事はありませんから」
エレベーターホールで立ち止まり、それから綾瀬さんを見上げて首を傾げる。
「触れないのは、相変わらずです」
エレベーターのボタンをボールペンで押すと、綾瀬さんの表情がなんとも言えない複雑なものになる。
「でも……間違いじゃなければ、伊原さん、付き合っている人いるんでしょう?」
……います。
「一昨日は、まさか伊原さんだとは全く気づかなかった……相手の男に触られても、逃げてなかったし」
「磯村さんは……ええと、大丈夫なんです」
「そう……よかったね」
エレベーターが着いて乗り込むと、何故か立ち止まったままの綾瀬さん。
「僕は、人事にもまだ用があるから」
「あ。そうでしたか。これから大変でしょうけれど、頑張ってください」
「うん。ありがとう。それから……」
綾瀬くんはいい淀み、そして顔を上げる。
「あの時はごめん。僕は子供過ぎて……八つ当たりして、酷いことを言ったと思う」
八つ当たり……か。
八つ当たり、は、皆するよね。
どうしても上手く行かない時、イライラして、八つ当たりして……
私も結構、磯村さんに八つ当たりしてるよね。
「ううん。私も……私は、どうにかなると思っていたの。巻き込んでごめんなさい」
綾瀬さんは首を振り、静かににっこりと微笑む。
大人になった綾瀬さんの笑顔は、あの当時と変わらず優しいもので……
懐かしさと同時に寂しさも感じた。
「じゃ、急いでいるんでしょう?」
「あ、はい。ありがとうございます」
開くボタンからペンを離し、営業部の階のボタンを押す。
閉まりかけたドアの隙間から、手を振る綾瀬さんの姿。
「お幸せに」
聞こえてきた言葉にビックリしたけれど、目の前にあるのは動き出したエレベーターのドア。
「…………」
昔、終わってしまった恋は、どこか何だかほろ苦い。
そうね。たぶん二人とも子供だった。
子供過ぎて、上手くなんて行かなくて、上手く行かないときは、八つ当たりして喧嘩して。
それでも、仲直り出来ていれば、違う結果があったのかもしれない。
私は、引いてしまったから。
もう、誰とも上手く行かないと、自分で感じて、自分で決めてしまったから。
決めてしまった事を、覆すにはそれなりの根拠が必要で……