砂糖漬け紳士の食べ方



伊達圭介。現在38歳。

普通科の高校、某大学の文学部卒業。
その「美術」とかけ離れた彼の学歴は、「弱冠23歳で日展入賞」という文字を更に光らせた。

入賞後、彼は全国的に個展を精力的に開催。
美大卒でない人間の「日展入賞」という箔がついた彼の絵は、高値で取引されるように。
しかしある時期をきっかけに、発表がパタリと止む。

現在は、イラストやデザインの受注のみ─────



アキが自分で持っている画集、資料室での過去発刊された雑誌。

その全てを見ても、周りが彼のことを好きに書きたてるだけで、編集長の言うとおり伊達圭介の写真や発言を載せた記事は1枚も見つけられなかった。




「わっ、何ですかこれ」



翌日、アキの机上に山と積み上げられた画集や資料を見るなり、出勤してきた後輩の綾子が声をあげた。


結局クリスマス残業ののち、終電での帰宅は叶わなかった。

とんでもない爆弾を編集長から預けられたため、慌てて資料室に閉じこもり、あれやこれやと引っ張り出してきた結果が、この大量の資料本だった。



「…編集長が、新しい企画でさぁ…」


もはやクマが出来つつある彼女の引きつった笑顔に、綾子もつられて唇を引きつらせる。

綾子が、そのうちの一冊を手に取った。



「伊達圭介?って、あのマスコミ嫌いで有名な?」

「…あ、やっぱり綾子ちゃんも知ってるんだ」

「だってこの人、ありとあらゆる編集部からの取材やらテレビやら、マスコミ一切拒否してるって話ですよ。
え?先輩が取材することになったんですか?っていうか、取材許可下りたんですか?」


アキの無言に、綾子は「ご愁傷様です」と更に笑顔を強張らせた。

ぺらぺらと画集のページを捲る綾子の薬指には、昨日まで見なかった光がちらついた。
それはもちろんアキの視線にも止まる。


「あ、そういえば昨日は大丈夫だった?雪、すごかったから」


その一言で、綾子はとろけそうに唇を笑ませた。


「大丈夫でしたー、ふふっ」

「うん、分かった。それ以上聞かない。君が幸せならそれでいい」

「やだもう、先輩ったら野暮ですねぇ」


「お?どうした、そんなに資料集めて」


おしゃべりを聞きつけたのか、中野がアキの机上を見て呟いた。

給湯室にコーヒーを淹れにいっていたらしい。


「中野さん、大変ですよ。アキ先輩、あの伊達圭介の取材担当するみたいです」


ズズッ。

中野が汚くコーヒーを啜る音を挟み、「えっ」と驚嘆の声があがった。


「伊達圭介って…マスコミ嫌いって話の?」

「中野さん、それに伊達圭介って、家がものすごい汚いからマスコミ呼べないっていう噂聞きましたよ私」

「あっ、そういえば俺、伊達圭介がものすごくブサイクだからマスコミ呼ばないって聞いたけど」


中野と綾子は二人揃って笑い声をあげた。
横にいるアキの苦悶の表情にはまるで気づかないままに。

これだけでアキは「伊達圭介がマスコミにどう思われているか」を悟った。
少なくとも、好感度は果てなく低い。0どころか、マイナス一択だろう。


「でも何でお前が担当するの?」

「…編集長からのクリスマスプレゼント。私がファンだって知ってたみたい」

「………まあ、あの人はそういう人だわな」


中野は再びコーヒーを一啜りし、「これから桜井を弄るネタを見つけた」とばかりに満足そうな表情で自席に戻っていった。

いよいよアキの雰囲気が重苦しくなってきたのを気づいた綾子が、わざと明るい声を出してみせた。



「先輩…な、何か私に出来ることあればお手伝いしますから!」



「…面接があるんだって」

「は?」

「本人による面接。それに合格しないと、取材させてもらえないんだってさ」


しばらくの沈黙。
のち、綾子が「なるほど、それで…」と小さく頷く。


「面接って、何をするんです?」

「編集長が言うには、自分の絵の感想を聞くらしいよ」

「あ、じゃあ先輩にうってつけじゃないですか!ファンですもん!」


アキは、綾子を一瞥した後、再び視線を手元の画集に戻した。


「…だけどさぁ、考えてみてよ。
今まで他の編集部が、それだけのことなのに合格しなかったんだよ?
一体どれだけ立派な感想言えばいいの…」


その指摘は真っ当だった。
だからこそ、慰めに似た言葉は、それ以降綾子から出てこなかった。

お昼を過ぎても、夕方になっても、アキの頭の中は「伊達圭介による面接」で占められていた。




今まで誰も触れられなかった「伊達圭介」という人間。

そこに自分が業界で一番に記事に出来たら、と考えるだけで充足感が満ちる。


確かに編集長の言うとおり、編集に携わる者としてやりがいがある仕事なのは間違いない。



──しかし、何をどう言えば、面接に合格できるのだろう?

そもそも、どの絵について感想を述べればいいのか。
当日、彼の目の前で絵を適当に決められるのか、それとも彼の描く絵全体について言えばいいのか…。




アキは再び、手元の画集に目を下ろす。

彼が日展に入賞する前に刊行されたものだ。




伊達圭介が描く題材は、一つだけ。

それは「人間」。


人生の、日常の、様々なシーンを取り上げ、描き、油絵の具で塗りつぶす。

黒や赤、紫など、色味がきつい絵の具を使い、けれどキャンバスいっぱいに笑顔を描く。

本来は、見る人に「暗い」「寂しい」「自己主張の強さ」を感じさせる色なのに
その全ての色を使って、優しい笑顔を表現する。


数年前、学生だったアキは、彼の表現するこの世界に心の奥底を引っ掻き回された。



人間には様々な「欲」があって、それは生きるための必要悪であるが
しかしそれを持って生きながらも、他人へ優しくする、子供に笑む、そんな優しい瞬間は確かに存在する───


絵の見方に正解も不正解もない。

「正しい見方」はあるのかもしれないが、見る人が「感動した」のならば、それだけで絵の感想として充分なのだ。




しかし果たして、この心の動きを、どう言葉にすればいいのだろうか?

美術評論のように、ありとあらゆる言葉を選び、弄って、並べれば、上手いこと「感想」にはなる。



伊達圭介はそれを求めてるのかもしれない。

でも、自分の感動を言葉だけではそう表現出来ない、とアキは気づいていた。



…いや、もしかしたらそれは自分がそう思っているだけで

他の人だったらうまく、伊達圭介が感動するような文章を作り上げてしまえるかもしれない…。




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