今度こそ、練愛

そっと窺うように、ゆっくりと扉を開けた。



「失礼します」



小さな事務所の一番奥に座っているのは社長さん。川畑さんが座っているとしたら……と事務所を見回したけど誰もいない。



「いらっしゃいませ、大隈さんですね。今日はどのような御用件ですか?」



川畑さんが居なかったことに安堵したのもつかの間、名前を呼ばれたから驚いた。社長さんと会ったのは一度きりなのに、まさか覚えられているとは思わなかったから。



「川畑さんは、いらっしゃいますか?」

「彼は今日は出社していないんだ、彼に仕事の依頼?」



と言って、社長さんが私の手元へと視線を落とす。明らかに紙袋を見つけたようだけど、知らん顔を装ってくれている。



「いいえ、仕事ではないんですけど、これを川畑さんに渡してもらえませんか?」

「わかった、確かに渡しておくよ。御用件はそれだけでいい?」

「はい、渡して頂くだけで結構です」



深く頭を下げて、私は事務所を出た。
もう二度と、ここに来ることはないだろうと予想しながら。



もしも次に母に会う時は、正直に話そう。
川畑さんに代わりは頼まない。



これですべて終わりにしよう。





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