年下ワンコとオオカミ男~後悔しない、恋のために~
マスターは空になった私のグラスを取り上げると、詳しいことは本人に聞いてね、と笑って釘を刺した。それからジンのボトルを手にして、おかわりを作って差し出してくれる。

差し出されたグラスに口をつけると、いつもと違う味がした。

「甘くない……?」

「トニックウォーターじゃなくてソーダで割ってある。臆病な沙羽ちゃんに」

言っている意味がよくわからなくて、眉をひそめてマスターを見上げると、またにっと笑って返される。

「そのカクテル、素直な心、って意味があるんだ。
俺には沙羽ちゃんも大輔も、ごちゃごちゃ考えすぎてるように見える。大事なものを失ってから後悔しないように、一度素直になればいい」

奥さんをいきなり亡くしたというマスターの言葉には、とても重みがあった。

ジンのソーダ割りを流し込みながら、犬コロみたいな笑顔を思い浮かべる。


私の名前を呼ぶ声を、照れて少し赤みを帯びる目元を、髪を梳いていく指を。

あの、嫌なこともかたくなな心も溶かしてしまう、柔らかな気配を。


でももう私は祥裄との結婚に向かって歩き出してしまったのだ。親の挨拶も済ませて、式場探しも始めて、誰もが喜ぶ完璧な結婚へのレールに乗った。もう今更、そこから降りられない。


そして、もう大輔くんには、別の大事にしたい女の子がいる。


「いくら大輔くんが優しくても、出会って半年の三十路女に結婚切り出されてたらきっと困ってましたよ。現に、私に祥裄を選ぶように背中を押したのは大輔くんです」

「沙羽ちゃんが思ってるような意味で身を引いたわけじゃないと思うけど。あいつも臆病だからなあ」


そう言って笑うマスターの顔は妙に楽しそうだ。
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