君と春を



社に戻り、仕事を続ける。

でも昼間の会話が気になり、うまく集中できない。

そこに飛び込んできたのは急な依頼の電話だった。

「はい、専務室冬瀬…。

あ、里美先輩。

………はい?今からですか?

…いえ、急に言われてもこちらも今日中の業務が……」

突然の電話は社長付きの先輩秘書からだった。

取引先のイタリア企業のお偉方が来日しているので通訳がてら観光案内をして欲しいという内容だった。

こっちだって急ぎの仕事があるのに観光案内なんて冗談もいいところだ。

大体この人なら通訳の手配なんて簡単なはず。

……何か魂胆があるのはミエミエだ。

「ですから、そちらで通訳の手配できませんか?急ぎの仕事が……」

『あら?あなたの仕事くらい私がしておくわ。そんなの問題ないでしょ。』

…勝手な言い分に腹が立つ。

そっか。目的は専務に近づくことか。わかっていたコトとはいえ、玉の輿願望を振り回して仕事をされるのなんてまっぴらごめんだ。

それに昼間の一件でイラついていたこともありいつもに増して語気を強めて言ってしまう。

「…ではポルトガル語の資料の和訳をお願いできますか?

あと、今朝里美先輩に頼まれた社長のフランス語訳の仕事も急ぎでありますが。

今日中です。…定時まであと3時間半。

していただけるなら通訳でも観光でも何処にででも伺いますよ?

どうしますか先輩?」

私にしては意地悪な言い方だった。

そう、里美先輩は英語しかできない。

『忙しいならいいわ』先輩はそう言ってガチャリと電話を切った。

………疲れる。

思わず『はぁ』と出た溜息に専務はクツクツと笑っていた。

「何の依頼だったの?

随分ご立腹だったようだけど。」

「……いえ、こちらの仕事を無視して通訳と観光案内を頼まれたので…」

「そっか。イラっとした?」

「………はい。」

「ははっ。素直でいいね。

いつもならもっと淡々と返すところでしょ?

感情が入ってて彼女も驚いたんじゃない?」

「感情?そんなつもりは……」

「あるよ。気づいてるでしょ?」

自分のデスクを立ち、私に近づく専務。

「少しずつだけど、君は俺といる時感情がでてるよ。……俺はもっと君の気持ちを引き出したい。

君がどうして気持ちをしまいこんでいるか、何処に本音を隠してしまったかはわからないけど、ほっておけない。

……もう、無理矢理距離を置いたりもしないよ。

俺に笑顔を見せて欲しいから。」

そう言われて思わず俯いて黙ってしまう。どうしたらいいか、わからない。

すると…

長い指先でフワリと頬に触れる両手。

優しく包むように撫で上げ、上を向かせられた。

「……ごめん。
そんな顔させるつもりじゃなかった。」

そう言われて気付いた。
きっと泣きそうな顔を見られているはずだ。


それになんで私は……この手を払えないんだろう。


「……平気です。離してください。」

勤めて冷たく淡々と言う。

心がチクチクと痛む。

そしてその手が優しく離れると何だか居た堪れず席を立ち、休憩室へと向かった。

「冬瀬!おい!」

私を呼ぶ声は、聞こえないふりをした。



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