強引社長の甘い罠
 会社から歩いて数分のところにこんな店があることすら知らなかった。
 良平が引き戸を開けて中に入るのに私も続いた。しばらくすると浜本さんも店の中に入ってきた。中までついてきたのは浜本さんだけだったので、もう一人は外で待機しているのだろう。

 店内は思ったよりも普通だった。少し古くさい食堂といった印象で、一階は全てテーブル席で、靴を脱いで二階に上がる階段もあった。けれど脱いだ靴が一足もなかったから、もしかしたら二階は使われていない、あるいは夜だけとか、団体客だけとか、そういった使われ方なのかもしれない。

 遅い時間のランチだったからか、客は少なく、私たちの他にもう一人サラリーマン風の男性がいただけだった。私たちは一番奥の席に腰を下ろした。そして浜本さんは店主に何か話した後、入り口に向かった。彼女はそこで立ち止まり、くるりと体を翻し壁に背を向けると、私たちの方を向いた。そりゃそうよね、食事中だってついてくるし、監視するに決まっている。

 私はたった半日で彼らを意識しないスキルを身につけられたみたい。でも、良平が私と同じように彼らを完璧に無視していられることには驚いた。だって彼はこの状況になってまだ数分しか経っていないのに。

「それにしても良平ったら帰国したばかりのくせに、いろんなお店を知ってるよね。ここなんて私の会社から近いのに、私、全然知らなかったよ」

「まあな、って言いたいところだけど、これも教えてもらっただけだよ。この近くで仕事があるって言ってただろ? 唯とランチすることになったから、取引先でお勧めの店を聞いてきたんだ。ほら」
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