続 音の生まれる場所(上)
演奏会の曲を全て練習し終えたのは、午後七時。休憩を挟みながら、五時間みっちり吹き込んだ。

「疲れてないか?」

コンマスが話しかけてくる。

「大丈夫です。柳さん達こそ朝からだし…疲れてるんじゃないですか?」

早くから病室にも来てくれた。多分そのままここへ来て、練習してると思う。

「俺はヘーキ!根っから丈夫にできてるから!」

笑ってる。明るいな、柳さんは…。

皆が練習室に戻り始める。楽譜を閉じ、改めて客席を見つめる。明日の夕方、ここで沢山のお客さんを迎える。
昨日までとは違う。変な気負いがない。上手く吹くことばかりを意識してたけど、それがすっかり無くなってる。
今はただ、朝が訪れることの喜びを語りたい。
出会えることの嬉しさや今ある幸せを噛みしめたい。
それを音に乗せて、客席に届けたい。
一人じゃない。皆と奏でる…。

「立てる?」

後ろから声がかかる。振り返り、笑顔で答えた。

「立てますよ!」

元気よく立ち上がる。溢れるように笑う。大好きな人の笑顔が眩しい。ずっと見てたい気がする…。


練習室に向かいながら、曲について語り合う。
声を聞くと、思いが募っていくのが分かる。今ここで告げたら、彼はなんと言ってくれるだろう…。


「坂本さん…」

名前を呼ばれた人がこっちを向く。目を見る。口元が緩む。

……でも、ダメ…。やっぱり言えない……。

「すみません。何でもないです…ただ、呼んでみたかっただけ…」

笑って歩き出す。私のことを見てた人の足も前に出る。

明日は本番。想いを告げるのは、その後でいい……。


帰りはタクシーで…と拾われた。
無理をしないようにと注意を受けながら車に乗り込む。
窓の内側から、外に向けて手を振る。

胸の中に残る思いやりが、ずっとずっと…心の中を温めてくれたーーー。
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