蜂蜜漬け紳士の食べ方
翌朝。
昨夜のパーティーが嘘のように、ホテルはいつもの平穏を取り戻していた。
「ああっ、伊達先生!ようやく見つけました!」
画家を発見したある男が、大急ぎで駆け寄る。
その慌てぶりとは正反対に、画家はロビーのカフェで優雅にコーヒーを飲んでいた。
「やあ、おはようございます」
伊達は男に対して笑いもせずに挨拶をした。
「おはようございます、じゃないですよ…」
「昨夜は君達スポンサー殿のお陰で、盛大なパーティーを開催出来まして。どうもありがとう」
「伊達先生、どうして昨日は急に部屋へ帰ってしまったんですか!
あの後はモデルの子とか、業界の方々…伊達先生にとってもこれから有益であろう方々と別の料亭へ行く予定だったんですよ!」
ロビーに響かない絶妙な責め声に、しかし伊達は動じもせず、もう一度コーヒーを啜る。
「義務は果たしただろう」
「しかし…!」
「…それに、わざわざモデルのあの子も巻き込んで話題作りをするような君達だ、そんなところへ行ったらまた『面白い事態』になりそうだしねぇ」
一緒にモーニングコーヒーはどうだい?と伊達はわざとらしく微笑んだ。
「まあ、私は元々『そういう利用意味』の無い人間だ。
今後どうするかは上役の会議で決めて頂いて構わない」
男は言葉もなく、唇を噛み締める。
「君達が呼んでくれた…ええと、何だったかな…ああ、日本画家の小河原先生なんか良いんじゃないかな。
あの人はそういうのが大好きそうだからね。
別にスポンサーを降りたからといって、仕返しなんて子供っぽいことはするつもりは毛頭無いよ」
「………」
顔をしかめるスポンサー会社の男に割って入るように、やたら快活な声が伊達に向けられた。
「やあ~、伊達先生。おはようございます!」
氏家だった。
「…ああ、おはようございます。氏家先生」
氏家はニコニコと笑ったまま、伊達の正面へ座り、ウェイトレスにコーヒーを一つ注文した。
「…では伊達先生、後日ご連絡致しますので」
一礼して去って行ったスポンサー会社の男に目もくれず、初老の男はニヤニヤ笑いを一層深める。
「先生もこちらに宿泊されたんですねぇ」
「ええ。あまり出歩きたくなかったもので」
「そうですか。…いやあ、伊達先生もお人が悪い」
「何のことでしょう」
「インタビューなんか、無かったではないですか」
伊達はカップに唇をつけたまま、チラと氏家を見る。
正面に座る初老男性は、昨日の夜と変わらないまま。食えない笑顔のままだ。
「たまたまあの後、パーティーを終えた小河原先生に聞いたんですけどね。
スポンサーの意向で、昨夜のインタビューは一切禁止されていたとか。
それをあなた、わざとらしくインタビューがあるなんて言って」
「…人聞きが悪いですね、氏家先生」
新しく運ばれてきたコーヒーにミルクを垂らしながら、けれど氏家は動じもせずに更に笑みを深めていく。
「てっきり伊達先生は、例のモデルとよろしくやってるのかと思いましたよ。
せっかく来ていたんですから、美味しく戴くのも良いじゃありませんか」
野卑な会話の合間を、スプーンとカップが触れる音が埋めていく。
「…あの記事は、話題作りのためスポンサーが週刊誌へ売り込んだようなものなので」
「そうだったんですか、それはそれは」
ズズ、と氏家がコーヒーを啜った。
その傍ら。
伊達は静かにカップをソーサーへ置く。
「世間が面白がるような話題を提供出来るほど、私も誰かさんほど器用な人間じゃないものでね。
それでは氏家先生。失礼致します」
「おや。もうお帰りですか。
残念、もう少しお話したかったんですがね?」
「人を待たせてるので」
「そうですか。また機会があれば」
伊達は正面の氏家を見据え、口端を曖昧に上げる。
「では失礼」
そしてすれ違いざま、伊達は氏家の肩口にボソリと声を落とした。
「……手、出すなよ」
ミルクが溶けたコーヒーに、伊達の表情が一瞬だけ映り込んだ。
けれど氏家はそれを飲み干すように唇をつける。
そのままカフェから去る伊達の背中を見もせずに、氏家は鼻で笑った。
「んっふふ……若いねぇ~…」
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