噎せかえる程に甘いその香りは
あの日、何処をどう歩いたか気が付いたら見知らぬ場所でぼんやり立ち尽くしていた私を探し出してくれたのも蓮実さん。
病室を出た所で私が居なくなっている事に気付いて探してくれたらしい。
父にあんな言葉を言わせた俺が悪い、と何度も謝りながらぎゅっと私を抱きしめてくれた。
『泣いていいんだよ。傷付いたなら泣いた方がイイ。そんな辛そうな顔で我慢なんてしなくてイイから。』
それまで私には泣くと言う選択肢はなかった。
だって泣いたって何かがどうかなるわけじゃないと思っていたから。
泣いたって寂しいのが減る訳じゃない、泣いたって家事は進まない、泣いたって母は一緒にいてくれない、
―――泣いたって欲しいものは手に入らない……
幼心にそれを実感として受けとめて来た所為か、いつの間にか泣くという行為自体を忘れていたのかもしれない。
あの時、私は蓮実さんに泣き方を教えてもらった。
彼の罪悪感以上に私は大切にしてもらえたから、それで十分だ。
私は菊池さんに顔を向けた。
「菊池さんには謝っても謝り切れないです。恋人の浮気の噂なんて…苦しめて傷付けてしまうと分っていたけれど、真実を公にする事は出来なくて…。下手に探りを入れられるのを恐れて噂に便乗してしまったんです。」