星の音[2015]【短】
「その本、気に入った?」


突然降って来た声に驚いて、体がビクリと強張った。


「あぁ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど」


そう笑った男性の姿にさっきよりも遥かに驚いてしまったのは、いつの間にか隣にいた彼との距離があまりにも近かったから。


「うわぁっ……!」


「ごめん、ごめん。そんなに驚かせるとは思ってなかった」


少し遅れて色気の無い声を上げた私にクスクスと笑った男性は、たぶんこの大学の生徒だろう。


「それ、僕が借りていた物だと思うんだ」


「えっ?……あっ、すみません!」


状況を把握した直後に慌てて本を差し出せば、その男子生徒はふわりと微笑んだ。


「これから返しに行こうと思ってたんだけど、さっきここに立ち寄った時に忘れたみたいでね。途中で気付いて慌てて戻って来たら、君があまりにも熱中しているからすっかり声を掛けるタイミングを失くしてしまったよ」


「本当にすみません!」


「ううん、熱中する気持ちはよくわかるよ。これ、冒頭部分が特に秀逸なんだよね。一気に引き込まれるし、ついついページを捲りたくなる」


楽しげな表情の男子生徒の言葉は共感出来るものばかりで思わず相槌を打てば、彼はとても嬉しそうに笑った。


「だから、君がそんな所で立ったまま読む気持ちもよくわかるよ」


言われて初めて、自分自身がソファーとローテーブルの間という狭い空間に立っている事に気付く。


足に触れそうなくらい近くにソファーがあるのに座ろうともしなかった私は、自分で思っていたよりもずっと夢中になっていたらしい。


「掃除の途中でそれを見付けて、読みたかった物だったからつい……」


何だか気恥ずかしくてぎこちなく笑いながら言い訳を並べると、男子生徒は春の陽溜まりのように柔らかな笑みを浮かべた。


「全てを忘れるくらいに夢中になれるものがあるのは、人生においてとても素晴らしい事だよ」


そして、とても優しい声音でそう紡いだのだ。



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