僕と、君と、鉄屑と。

(2)

「失礼します」
森江くんの声に、僕は、雑誌を閉じ、そのままゴミ箱へ投げ入れた。
「コーヒーをお持ちいたしました」
「ああ、ありがとう」
カップを持った僕に、森江くんが、スマホを見せた。
「麗子さん、無事、出産されたそうです」
「ああ、そう」
写真の中には、日に焼けた、Tシャツにジーンズの直輝と、化粧もせず、パジャマで笑う麗子、そして、彼女の腕の中には、どことなく、麗子に似た、小さな赤ん坊がいる。
「かわいくないな」
「生まれたての赤ちゃんは、こんな感じですよ」
「性別すらわからない」
「男の子、です」
「そう」
「お名前は、ユウキちゃんだそうです」
「ふん」
「村井祐輔の祐に、野間直輝の輝で、祐輝、だそうです」
「……ロクな人間にはならないな」
「とっても元気な赤ちゃんだそうですよ。動画を送ってもらいました。ご覧になりますか?」
「遠慮しておこう」
森江くんは、はい、と微笑んで、後でメールでお送りしておきます、と言った。
「四時から、取材ですので」
「ああ、そうだったね。毎日毎日取材ばかりで、もう飽きてきたよ。くだらない質問ばかりで、うんざりだ」
「あら、前社長は、そんなこと、一度もおっしゃいませんでした」
 コーヒーを、一口飲んだ。なかなか、コーヒーの淹れ方も上達したようだ。
「森江くん」
「はい」
「僕は、悪人だね」
「そうですね。世間は、村井祐輔は、酷い悪人だと言っていますね」
「狙い通りだ」
僕は、悪魔なんだ。痩せた体、醜い顔、ひねくれた心。こんな僕には、こんな配役がお似合いなんだ。
 窓の外を見下ろすと、人間が小さく、蟻のように歩いている。彼方此方へ、せかせかと、どこへ行くのか知らないが、歩いている。
「でも、社長は悪人ではありません」
森江くんの体が、僕に触れた。柔らかい体。長い髪。甘い香り。僕は森江くんに、抱きしめられていた。
「悪人、ではない。僕は、悪魔だ」
「いいえ、本当の社長は、愛に溢れた方です。本当は、とても、誰よりも、優しい方です」
「君も愛、信者か」
「社長も、です」
 森江くんが、僕を見つめている。優しい目で、まるで、あの……直輝のように、優しく、僕を見つめている。
 窓の外の景色が、また、ぼやけ始めた。この、涙というものは、一体どこに溜まっているのだろう。僕はあれから、随分、この涙というものを体外に排出したのに、まだ、残っている。一体、いつになったら、この液体は枯渇するのだろう。
「愛しています」
「僕には愛など必要ない。僕は誰も愛さない。僕は誰にも愛されない。僕は一人なんだ。僕は……」
森江くんの唇が、僕の言葉の邪魔をした。
「汚らわしい」
僕はその、少し口紅でベタベタした、柔らかい唇を、引き離した。
「私では、代わりにはなりませんか」
「……何を、言っているんだ」
「社長の悲しいお顔を、もう見たくないんです」
「僕の、何を知っていると言うんだ」
「何も、存じません。ただ、おそばに、いたいんです」
森江くん、君は……僕を知っているんだね。僕がずっと、隠してきたことも、侵してきた罪も、何もかも、君は……かつての僕が、直輝をずっと見ていたように、君は、僕を、ずっと、見ていてくれていたのかい? そして、君は……あの麗子のように、僕を、許すというのかい?
「僕の、何がいいんだ」
「私の孤独を、埋めてくださいました」
わからない。僕がいつ、そんなことをしたのか。ふむ。やはり、女はわからない。わからないが……
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