今宵、月が愛でる物語
どきりと、心臓が跳ねる。

黒崎さんは同じ商品部の4つ上の先輩。

そして彼は……

「って!私の定期!」

彼の手にあるのは私の定期だ。不敵な笑みを浮かべ、ヒラヒラと弄ぶその姿はまさに彼そのもの。私をからかういつもの彼だ。

「~~~っ!返してください!」

咄嗟に定期に手を伸ばすと、

ぺちっ

「いっ!?」

……おでこをはたかれた。

「何する…」

「遅いからだろ?待っててやったのに。」

は?待ってた?

「なんでそんなこと…」

「いいから。ホレ。いらないのか?コレないと帰れないぞ~。」

ワザとらしく頭の上で定期をヒラヒラさせて私を煽る。この人はいつもこうだ。

「~~~~~!」

2年前ここに配属になってこの人のサポートをするようになってからずっとこう。ちょっかいをかけて、からかって…まるでペット扱いだ。

……人の気持ちも知らないで。

私がずっと、ずっとずっと好きだってことも知らないで。

……まぁ、今の関係が崩れてしまうのが怖くて何も言えない私もダメダメなんだけれど。

「…とにかくっ!」

「…何がとにかくだよ。」

「……いいから、返してください~!」

必死に手を伸ばすけれど、届くわけがない。私たちの身長差は私が7センチヒールを履いてる今でも15センチあるんだから。


届かない手、


からかう彼、


今朝のお見合いの話、


勝手なことを言う母、


定期を忘れた私、


……臆病な私。


全てにイライラする。今日一日溜まってきた嫌な気持ちが爆発してしまいそうだ。

「~~~~~~~~~~~!

………………もう、いいです。」

ダメだ。このままじゃ黒崎さんに八つ当たりしてしまう。

「は?…橘?」

「それはその辺に置いてて下さい。」

くるりと後ろを向き、エレベーターのボタンを押す。他に使う人のいないそれは、私を待っていたかのようにすぐに扉を開ける。

「ちょっ!おい待てって!」

「いえ、私今日は普通じゃないんで。黒崎さんのペット扱いの相手する余裕ないんです。」

自分でどんな表情をしてるかもわからない顔を見られたくなくてワザとサイドの髪が前にかかるよう俯き、一階のボタンを押す。

扉が閉まる一瞬、無意識に見上げてしまった彼の顔は、困惑した表情を浮かべていた。



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