楓の樹の下で
第九章 “過去”
日向はとても可愛くて素直な子供だった。
反対を振り切りように家を出た。そして日向を家で産んだ。
一月の寒い季節にもかかわらず、窓から差し込む太陽の光が暖かくて子供を名前を【日向】にした。
病院に行く事も役所に行く事もしなかった。
無知だったといえば、そこまでだけど、あの時の私は本当に子供だった。
子供は一人で大人にはなれない。ましてや母親にもなれない。
なのにそんなこともわからずに、私は親から離れてしまった。
無知なりにも子育てを頑張った。
誰にも聞く事ができなかったから、育児本を買って勉強した。
初めて寝返り、初めての言葉、初めて立った時どれも素敵な記憶だ。
幸せだった。親の反対を聞かず、この子を産んだことは正しかったんだと思っていた。
けれど日向が二歳の時、日向の父親は女を作って姿を消した。
そんな事関係ないと、何が何でも一人で育てあげると決めて頑張ってきた。
でも歯車は少しずつ狂い始めてた。

日向が四歳になる少し前、聖 一真と働いてた店で出会った。
私は母親であることより、女であることを優先するようになった。
朝帰ってきて、寝る。夕方出て行き仕事して朝まで遊ぶ。
日向のことは居ないように生活をした。
日向が鬱陶しくて殴った。
真っ直ぐに私を見る目がたまらなくて押入れに押し込んだ。トイレ以外はそこから出てくるのを許さなかった。
日向をただ傷つけたくて色んなを事した。
一真を家に呼んだりもした。わざと押入れを開け見せつけるように一真との仲を見せた。
何をしても、日向は私に笑いかけてくる。
それもまた腹ただしく気持ち悪かった。


ある日、何の前触れもなく日向は二人になった。

日向の中にもう一人がいる事に気付いたのは五歳になってすぐだった。
些細な事だった。
日向にお風呂に入る様に言うと、反応が違った。
自分自身の呼び方や、聞き手がが違う。
私だって一応母親だ。
だから、違う事ぐらいわかる。
私が日向を怒鳴ったり、殴る時は決まって、もう一人のあの子が出てきて耐えるようになった。
わかっている。その行為は間違っている。日向がそうなったのは私のせいだ。
けれど止める強さが私にはない。
あの子を殴ったあと、日向じゃないあの子に申し訳なくなり泣いた。
私が泣いて謝ると、お母さんと心配そうに近付いてくる。
けれどそれは日向なのか、もう一人のあの子なのかわからず、恐怖でしかなくなっていった。
私がいない間に死んでくれてないかと思うようになっていった。
日向が私が居ない時に残り物を食べているのを知っていた。
死んでてくれたらと思う反面、食べ物を置いて行ってる私もいる。
日向が憎い反面、愛しく思ってもいる。
ただ、それがどちらの日向なのかがわからない。
日向のせいで私の人生が狂ったと思っていた。
憎い感情が支配してた。
でも日向が二人になってからは恐怖が湧き上がり、今では日向が怖くて仕方がない。
それでも元に戻れず、あの子に暴力を繰り返す。
小学生になる年齢になっても生活は変わらなかった。
そんな生活を続けて五年。日向は少しも成長しなかった。
そんな姿も怖い。
こんな事続けていけるわけがないと思っていた。
まさか、こんな形で幕が下りるとは、思ってみなかった。

いつも通りに夕方まで寝ていた。
強い衝撃が体を貫く。
金属バットが見えた。
一真だと一瞬思った。
一真が持ってきて置いて言った物だったから。
でも一真なわけがない。
バットの向こう側に小さな足が見えた。
視界が赤黒い。
目元を触ると、生温かくヌルっとした。
それが血だとわかっても、自分のとは思わない。
「日向?アンタ…。」
言葉を話して初めて気付く。
呂律が回らない。
この血は私の?そう思うと体がガタガタと震えだした。

「お母さん…痛い?」

しゃがみ込み日向が話しかけてくる。
逃げなきゃ殺される。
きっと、今は日向じゃない。あの子だ。
あの子は私を殺してもおかしくない。
逃げたくても体が思うように動かない。

「お母さん、ごめんね。痛いよね?でもいなくなってほしいんだ。」

そっか、この子は私を殺すんだ。
そう思うと日向を産んだ日を思い出した。
本当に暖かくて痛みを取ってくれる日の光だった。
日向って名前はこの子の顔を見た瞬間浮かんだ。
ピッタリで私の腕の中の日向を見てると涙が溢れた。
その気持ちを忘れてたんだ。
あぁそうだ、今日は日向の誕生日だったと思い出した。
涙が流れた。

『日向にとっては、私がこの子の人生を狂わしてたんだ。』

今になって気づいても遅い。
ゆっくりと、金属バットが振り上がっていくのを見ていた。

「日向…ごめん…ね…」

スローモーションで振り下ろされるバットを見たのが最後の光景になった。


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