楓の樹の下で
第三章 “ひかり”
急いで携帯を手に取る。軽快な着信音とは裏腹に電話の相手は低い声で話し出した。

「鏑木さん?青木ですけど…」
「はい、ども…ってか今ニュースであの子の母親がって見たんですけど…」
「そうなんですわ…いやぁまさかこんな形であの子に伝えなあかんとは私も木田も思ってなかったから正直戸惑ってますわ。」
「はぁ、僕らも正直びっくりで…あの死んでたって、どうゆう事なんですか?」
少しの沈黙が流れる。
「死んだというより、ありゃ完壁な他殺ですわ。」
「他殺って、殺人ってことですか?」
思わず声を上げてしまった。
隣の朱里が会話を少しでも聞こうと俺との距離の詰める。
少しの沈黙が流れる。青木が気まずく躊躇っているのが電話先でも伝える。
深く溜息を吐き出すと青木が話し始めた。
「被害者の母親ですが、布団に寝た状態で上から布団かぶせられて見つかったんですが、凶器思われる金属バットは母親のそばには転がってまして。」
「あの、聞いといてなんですが、いいんですか?そんな事俺が聞いて。」
「大丈夫ですよ。今言ったこともこれから話すことも、どーせ朝になれば、こぞってテレビで流れることですから。」
青木は話しを進めた。
「その凶器の指紋なんですが、あの子の指紋しか見つからんくて。バットだけやなく、室内の何処にも母親とあの子の指紋以外のはなかったんですわ。それだけやなく、荒らされたりした形跡もなくてですな…」
青木の真意がわからなくて、気不味さを感じ話しをかえた。
「あの、それで、あの子の名前ってわかったんですよね?」
ずっと青木が あの子 って言ってるのも気になっていた。
「まだわからんのです。」
「まだってどうして?」
「それがあの子が写ってる数枚の写真や、服や靴といった子供の日用品などはあったんですが、名前を示すものがなくてですな…」
「あっ戸籍!母親の戸籍調べればわかるじゃないですか?!」
青木の言葉を遮りまくし立てるように問いただす。
「それは我々も調べましたよ。……それがなかったんですよねぇ。」
落胆しながら言う その言葉に頭を殴られた様な気がした。
「ないって無戸籍者ってことですか?」
俺の言葉に隣で聞き耳を立てていた朱里が驚き俺を見る。

➖無戸籍者➖
なんらかの理由で、出生後 役所に出生届を出さずに育てられた者の事を指す。
その多くの理由は親の勝手な判断によるもので、年間少なくとも500人の子供たちが無戸籍者となってるといわれている。
その数は不明者を入れても年々増加傾向にある。


「だから正直今、なにかと八方塞がりなんですわ。」
「そんな……俺たちに何かできることがあればなんでも言って下さい。できることがあるなら出来るだけ協力させて下さい。」
隣で朱里も頷く。
「ほな、お言葉に甘えて…こっからが今日電話した本題なんですが、鏑木さん宅とあの子を見つけた場所ってそんなに距離ありませんよね?」
「そうですね。徒歩でも5分もかからないかと。」
「あの子のこと見かけたりした事ないかなっと、思いまして。」
少し待ってと告げ朱里にも聞く。朱里は少し考え首を横に振る。
朱里も俺も記憶にない。
だって、そんな事言われても二人で住む事を決めて今のこの家に住むようになってから二年と数ヶ月で、あの道は通勤で通るぐらいだから正直わからなくても当たり前だと思った。
「そうですか…」
「すみません。」
「いやぁ気にせんでください。もしかしたらなにか気付くかもしれんので、お時間作って署の方に顔だしてもらえませんか?先程話した写真見ていただきたいなと思ってまして…」
確かに俺たちが見たあの子は腫れ上がった顔と、少しマシになった顔だけだと思った。写真を見たら青木の言う通り何か気付くこともあるかもしれないと。
「じゃ昼頃伺います。二人とも休みなので…」
「わかりました。ほな、お待ちしてます。」
そう言って電話を切った。

そのまま携帯を手にして少し茫然していると、激しく体を朱里が揺らした。
「ねぇ正親さん!どうゆう事?なんだったの?あの子がどうかしたの?」
青木との会話を漏らすことなく朱里に伝えた。
話しが進むにつれて、朱里の表情は影を落としていく。
話し終わると朱里は泣いた。
「そんな…可哀想過ぎるよ。」
二人であの子を思うと辛くてたまらくて、その夜はなかなか眠りにつけなかった。
< 5 / 34 >

この作品をシェア

pagetop