楓の樹の下で
あまり寝た感覚もなく目を覚ます。


天井を見ながら思い出す。
朱里とは四年前、俺の職場に朱里が人事異動で入ってきた。三つ下の彼女は世間のいう美人ではないけれど、優しさが滲み出て、ただただ俺のストライクゾーンど真ん中だったんだ。
完全な一目惚れだった。
付き合うことになるのに、月日はかからなく、付き合い始めてすぐの頃、《私ね、鏑木さんのこと一目惚れだったんです》と、少し照れながら言ったのを昨日の事の様に思い出せる。プロポーズしたのは付き合ってすぐの頃で、一緒に住む事を決めて、この二年と少し結婚までの準備を進めてきた。
家は2LDKのメゾネットタイプの家を選んだ。
今年の五月、二人が出会った日に籍を入れる予定で、共に両親にも挨拶を終えたし、職場の上司や同僚にも報告を済ませていた。
あの日、あの子を見つけたあの日。職場の人間が祝ってくれた日だったんだ。
最初は居酒屋でワイワイと、盛大に祝ってくれて二次会と称してカラオケで騒いだ。
終電もあって、お開きとなり家路についていた時 あの子に会ったのだ。
きっとこの事でお互いの両親も職場の皆も心配しているだろう。
なにより朱里は口にしないものの、一番気にかけているんだと思う。
このままこの事件に関わりを持つと、心から結婚を喜べるはずがない。
かといって、何事もなかったことにも出来ないし、ましてや結婚を先延ばしになんて……。
朱里はどう思ってるんだろうか。俺はあの子のこの先の未来が気になって仕方がない。
今の状態を知って尚更、無関係な顔など出来ない。
もしかしたら、あのまま見つけないほうがよかったかもしれない。そう思う大人は必ずいてるだろう。
でも、あの子の命を繋いだのは俺たちだ。少なくとも俺は俺自身に責任を感じていた。
朱里はもうこの事から離れたいかもしれない。結婚への不安もあるだろう。でも、俺は…。

階段を上ってくる足音がする。
「正親さん、そろそろ起きてよ。御飯出来たよ〜。」
そう言いながら扉を開けて入ってくる。
「なんだ、起きてたんだ!」
「うん、おはよう。」
「おはよう。御飯できてるから。」
いつもと変わらない朱里が目の前にいる。
ふと、泣きそうな気持ちになる。
だめだ、制御が出来ない。
朱里に見られまいと、顔を伏せた。
気付いた朱里が、外出の支度をしながら、話かけてきた。
「あのね、起きてから考えてたんだけどね…結婚の事だけど、延期してくれないかな?」
「えっ!?」
泣き顔で朱里を見る。俺に背中を向けながら支度を進める。
「だって、私あの子の事気になるんだもん。正親さんもそうなんでしょ?」
そう言うと朱里が俺を見た。
「ほら、やっぱり。言ってくれればいいのに。」
泣き顔を俺見ると少し笑いながら、隣座った。
「私たちは、ほらあれよ、いつでも結婚出来るけど、あの子は今誰かが必要でしょ。それが私たちかもしれないなら、手を差し伸べるしかないでしょ!!」
明るく振舞いながら朱里が俺の頬を両手で包み正面に目線を合わせる。
「なんで言ってくれないかなぁ。そんなに私って頼りない?」
ううんと、首を振る。が、朱里に固定されているから、さほど動かない。
「じゃちゃんと言って!じゃなきゃ私の存在って意味なくなるじゃない!」
ほら、早く。と、言う様な目で俺を見る。
「…結婚を延期はしたくないんだ。」
「それって、私のため?」
「うん。それが一番だけど…」
「両親や職場にも心配や迷惑かけちゃうもんね…」
朱里はエスパーなのかもしれない。
「でも、あの子を見つけたあの日から無関係じゃなくて…幸せになってほしくて…」
「うん、私も。だから、延期しよう!いつ頃籍入れるかは私たちが勝手決めてたことだし、延期するのも私たちのことだし、私は大丈夫だから。…私ね、そういう正親さんが好きなの。自分の事よりも目の前にいる子供を優先できる、そんな愛を持ってる人だと思ったから、この先一生そばで笑い合いたいなぁって思ったの。だから、こうなることは予想通りなのですよ、正親君!」
照れ隠しでエッヘンと胸を張って言った言葉が愛おしく朱里を抱きしめた。
「ありがとう。」
「いいえ、こちらこそありがとう。さっ決まったことだし早く御飯食べよ!青木さん待たせちゃうし、美味しい御飯が冷めちゃう!」
そう言って朱里が階段を下りて行く。
「ちゃんと着替えて顔洗ってきてよ〜。」
一階から声がする。返事をし顔を洗い着替える。
改めて朱里を好きになって よかったと思った。

それから、御飯を食べ青木さんに会ったのは昼の13時を回った時だった。
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